ちゃおチャオブログ

日々の連続

皇居の桜ー通り抜け(1)桜田門。

丸の内線・霞が関駅を出たすぐ横に警視庁が皇居に面して建っている。
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道路の反対側には東京地方、高等裁判所が建っている。
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その横には旧最高裁判所が皇居に面して建っている。
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外堀通りの正面には桜田門が見える。
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今日は桜田門から皇居に入ることにしよう。
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天皇皇后両陛下のお計らいで数年前皇居坂下門が春秋の2回開放され、5日間とは言え皇居内の春の桜秋の紅葉、が天皇家御親族同様に一般国民も楽しむことができるようになった。それが今年から5日間が1週間に伸び、更により多くの国民の楽しめる機会も増えたのだ。当方もこの機会に両陛下のご厚意に応えるべく、今日の月曜日、坂下門から乾門までの通り抜けをさせて頂いた。

2時半、桜田門で稲さんと待ち合わせ、ぶらぶら皇居前広場を横切って坂下門まで歩くことにした。丸の内線で霞が関で下車。階段を上って地上に出た所が警視庁横ゲート前。先月、清原が保釈されるに際し、大勢のテレビカメラ、中継車が放列を作っていた場所だ。が、長時間待たされた挙句、彼等の期待を裏切るように、清原は移送車から顔を出すこともなく、又一言の挨拶もなく、早々と走り去って行った。記者諸君もさぞかしがっかりしたことだろう。

警視庁の向いが旧最高裁判所。りニューアルなった赤レンガが春の新緑の中に清々しい。その正面、外堀通りを渡った先に桜田門がある。日本の司法を守る裁判所と国民の平和と安全を守る警視庁。この二つの枢要な国家機関が向かい合って皇居を守る姿は頼もしい。恰もこのコントラストはタイバンコクの王宮を守る陸軍省法務省最高裁)の配置を思い出す。

桜田門」。名前からして江戸時代この周辺にも沢山の桜が植えられていたに違いない。150年ほど前、この門から登城しようとした大老井伊直弼は、水戸藩士により殺害され、その後の日本の運命は大きく変えられた。桜田門外の変がなかりせば、日本は或いは英仏の分割統治、半植民地になっていたかも知れない。旧暦三月三日、今日と同じように既に桜の満開を迎えていたに違いない。

桜田門からはお濠の先に第一生命ビルが見えている。旧第一生命ビルの正面5階部分を残し、その後ろには新社屋の高層ビルが建っている。5階建て石造りの旧第一生命ビル。即ちGHQだ。マッカーサーがこの5階に君臨し、敗戦国日本の支配者になり、皇居に睨みをきかせていた。「桜田門」。桜の名のごとく、血塗られた近代日本の歴史を見続けてきたに違いない。

さて、これからこの門を入城し、二重橋前皇居前広場を横切って、坂下門に向かうことにしよう。



数々の歴史の舞台となった桜田門
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お濠の先には丸の内界隈の高層ビルが立ち並んでいる。
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お濠の前方には旧第一生命本社ビルも見える。
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戦後70年、廃墟から立ち上がった日本。見事に復活したものだ・・。
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さて、桜田門から宮城に入城しよう。
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