外堀に映える大手町のビル群。正面のビルは気象庁だ。
改築されたパレスホテル。三島由紀夫が好きだったホテルだが、こんな風にモダンになって、墓場の陰で驚いているに違いない。
大手町金融街。江戸時代も今も繁栄の象徴だ。
江戸城大手門を出た正面が現代の大手町。江戸時代から連綿と続いている町並みは、その先に金座、銀座が続いている。今や東京の玄関口ともなっている丸の内は、その名の通り嘗ては江戸城内で、明治の初め、三菱財閥がこの一帯の払い下げを受け、計画的な都市造りの元、現代では世界に誇れる丸の内ビジネス街となっている。
この辺り一帯は以前は高層ビルの建設が禁じられていて、高い場所から皇居を見下ろすのは不敬罪に当たるとの理由からだったのだが、それもいつの頃からか取り払われ、今では両丸ビル初め、超高層ビルがニョキニョキ建っている美観地区となっている。
大手門を出た直ぐ正面にあるパレスホテルも以前は確か8階建てで、皇室を敬うことやまない三島由紀夫は自身が主催する盾の会の例会を毎月このホテル8階で行い、大きなガラス窓の正面に見える皇居に拝礼できるのを無上の喜びとしていたようだった。そのパレスホテルも現在は建て替えられて高層ホテルになっているが、矢張り、今でも皇居に一番近いホテルとして、皇室崇拝者には見晴らしの良い部屋を提供しているに違いない。
そのパレスホテルの横を通り、各大手銀行本店などが立ち並ぶ大手町の金融街を通り抜け、丸善のあるAOZOを横切って東京駅に出た。これから品川に行くためだ。今日の夕方豪州メルボルンからやってきた旧知の家族と、駅前のツバメグリルで会食をする為である。
品川は日本橋からスタートする東海道五十三次の最初の宿場町。今では東京駅から電車に乗れば15分もかからずに行ける距離であるが、昔はここは江戸場外の品川村。今の品川駅の直ぐ先に小高い丘があり、御殿山と呼ばれているが、ここに薩摩藩邸があった。江戸城無血開城に当たって、西郷隆盛と勝海舟の会談が行われた場所で、丁度その頃も桜の花の季節だった。江戸が戦場とならず、江戸城が炎上されないで済んだお陰で、現在の皇居として天皇家に引き渡され、そして今日、自分も乾通りを歩くこともできた。
ツバメグリルはその御殿山の直ぐ手前にあり、右手、高輪プリンスの辺りは、今桜の満開であるが、その直ぐ先には泉岳寺がある。江戸開城の150年程前の討ち入り、忠臣蔵の義士が眠る菩提寺だ。今日は時間がなくお参りすることはできなかったが、きっと彼等も満開の桜の元で、平和な日本を見守っていてくれているに違いない。豪州からやってきた可愛いお子さんも、春の東京を喜んでいた。
この辺り一帯は以前は高層ビルの建設が禁じられていて、高い場所から皇居を見下ろすのは不敬罪に当たるとの理由からだったのだが、それもいつの頃からか取り払われ、今では両丸ビル初め、超高層ビルがニョキニョキ建っている美観地区となっている。
大手門を出た直ぐ正面にあるパレスホテルも以前は確か8階建てで、皇室を敬うことやまない三島由紀夫は自身が主催する盾の会の例会を毎月このホテル8階で行い、大きなガラス窓の正面に見える皇居に拝礼できるのを無上の喜びとしていたようだった。そのパレスホテルも現在は建て替えられて高層ホテルになっているが、矢張り、今でも皇居に一番近いホテルとして、皇室崇拝者には見晴らしの良い部屋を提供しているに違いない。
そのパレスホテルの横を通り、各大手銀行本店などが立ち並ぶ大手町の金融街を通り抜け、丸善のあるAOZOを横切って東京駅に出た。これから品川に行くためだ。今日の夕方豪州メルボルンからやってきた旧知の家族と、駅前のツバメグリルで会食をする為である。
品川は日本橋からスタートする東海道五十三次の最初の宿場町。今では東京駅から電車に乗れば15分もかからずに行ける距離であるが、昔はここは江戸場外の品川村。今の品川駅の直ぐ先に小高い丘があり、御殿山と呼ばれているが、ここに薩摩藩邸があった。江戸城無血開城に当たって、西郷隆盛と勝海舟の会談が行われた場所で、丁度その頃も桜の花の季節だった。江戸が戦場とならず、江戸城が炎上されないで済んだお陰で、現在の皇居として天皇家に引き渡され、そして今日、自分も乾通りを歩くこともできた。
ツバメグリルはその御殿山の直ぐ手前にあり、右手、高輪プリンスの辺りは、今桜の満開であるが、その直ぐ先には泉岳寺がある。江戸開城の150年程前の討ち入り、忠臣蔵の義士が眠る菩提寺だ。今日は時間がなくお参りすることはできなかったが、きっと彼等も満開の桜の元で、平和な日本を見守っていてくれているに違いない。豪州からやってきた可愛いお子さんも、春の東京を喜んでいた。
完
東京駅開業100周年を記念しての記念乗車ICカード。
品川ツバメグリルにてメルボルンからやってきた旧知の家族と。
楽しいひと時だ。
珍しい紅白の桜。平和な日本の象徴。