ちゃおチャオブログ

日々の連続

5.28.(土・晴れ)ネズミと呼ばれた男。

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嘗て日本の首都東京にネズミと呼ばれた知事がいた。全く不名誉な蔑称で、明治のご一新で江戸が東京に代わって以来、30人程の市長、知事が就任しているが、彼のような侮蔑的な蔑称を奉られたのは誰もいない。
当方も彼がネズミ男と呼ばれているのはつい最近知った。昨年のロンドンパリ視察旅行に際し、5000万円を超える公費を何のためらいもなく、湯水のように使っている豪遊振りを知り、このブログに全く破廉恥な知事であると指摘して以降のことだ。それは顔付等の外見上がネズミ似からではなく、彼の行動、言動がドブネズミのごとき薄汚れて汚く忌まわしいものだからである。世の中に病原菌を振りまくネズミ男だからである。誰が最初に彼に対してネズミ男の別称を奉ったのかは知らない。多分地から湧き出た言葉に違いない。

彼は若い頃からのエリートだった。東大を優秀な成績で卒業し、パリ大学に留学し、帰国後は東大の助教授として国際政治学の教鞭を取っていた。輝かしい学歴とキャリア、彼の将来は将にバラ色だった。当時からテレビにも度々出演し、田原総一郎の番組などでは、その意見が皆に受け入れられるかどうかは別にしても、良く喋っていた。当方も、そうしたテレビを時々見ていたが、田原氏の前で何を言いたいのか、単に自己主張をしているだけではないのか、この様な先生に指導された東大生が、卒業後、果たしてどの様なスキルを身に着けることができるだろうか、等々、危ぶんで見ていた。

それから何年か経って、彼は東大助教授を辞めて国会議員になっていて、驚いたことに時の内閣の厚生大臣になっていた。大臣の傍ら、高齢の認知症の母親の面倒を見る為に毎週末郷里の北九州に帰っていると知り、激務の中の親孝行、流石に彼しかできないこと、と見直しもした。こういう心根の優しい、親思いであり且つ認知症に理解のある彼こそ、厚生大臣に相応しいものであり、更に又当時の国民は総理に相応しい議員のNo.1に彼を押してもいた。

そうした彼が今度は自民を出て新党を作り、その後又そこを退会し、今度は自公の候補として東京都知事選に出馬し、圧倒的な集票で知事に当選した。変わり身が速いというか、機を見るに敏というか、田原氏の朝まで生テレビの番組当時と変わらない身のこなし方だった。当方も1票入れてやった一人ではある。猪瀬氏が突然辞めた後の急な選挙で他に選択肢がなかったこともある。

都知事になって以来、殆ど波風もなく2年が過ぎようとしていた。処が去年の暮れに新国立競技場問題が持ち上がり、再公募することになったが、その際のテレビ映像で、オリンピック開催の主体者は東京都である筈なのに、オリンピック委員会の森会長の前ではペコペコ卑下するような態度で、都としての主張を棚上げにして、森氏の言いなりになっていた事実が明らかになり、何だこの知事は! 都民から集めた税金をどう思っているのか! とやや不審の念を抱くようになった。それに引き続いての公費豪遊問題である。税金を湯水のように使う姿は、当方から見れば税金ドロボーと映った。

それからは出るわ、出るわ、次から次に彼の悪態の数々、悪行の数々、不徳の致すところを超えた詐欺的行為だった。彼はテレビの中で又議員時代、正義感溢れる発言で、政界を浄化してくれる救世主、最も身綺麗な国会議員としてのシンボリックな姿勢を取り続け、従って当時の国民は彼をNo1.総理候補と考えていた。
が、今日明らかになった彼の悪行の数々は以前の主張とは真逆のことであり、知事としての特権を最大限に悪用し、自己の都合、利便、都民のことは差し置いて、自己を最優先に考え行動する、知事としては最も相応しくない悪行を平然と行い、反省することもなく、開き直りすらしている。

一説によれば、彼の近い先祖は半島出身と言われている。明治期、北九州は重工業都市で、多くの半島人が渡って来た。あり得ることかも知れないが、彼は現在れっきとした日本人であり、選挙権もあれば被選挙権もある。しかし彼の行動、言うことと成すことが180度異なり、それが露見しても尚且つ開き直り、居座り続ける。猛省し、即座に知事職を辞任すべきなのに、都民からクビを言い渡されない限り、いつまでも居座り続ける積りだ。心の卑しさ、狡さ、潔癖間の無さ。今日の行状のあらゆる面を見ていて、矢張り彼の血の中には半島の血流が色濃く残っていると言わざるを得ない。今や多くの都民は騙された拒絶感に強く覆われてる。


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