ちゃおチャオブログ

日々の連続

愚衆政治と英国国民投票。

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今回の英国国民投票は、嘗て2000年前に行われたギリシャの愚衆政治と二重写しになって見えて来る。2000年前のアテネでは民主主義が高度に発展し、市民は自由に発言し、行動し、自らが選挙により選ばれもし、選良を選ぶことができた。市民一人一人に選挙権が与えられ、選挙による民主政治が行われていた。

嘗てのギリシャ都市国家が賢人が社会をリードする理想的な民主国家から変貌してきたのは、社会が成熟し、市民が贅沢に慣れ、個々人の要望要求が高まり、選挙行動はそうした個々の要望を満たすことのできる候補者が選任されるようになってからだ。そうして選ばれた代議員は、選挙民の要望を満たす為に最大の努力をした。現在の代議員制度の原型でもある。

要望と要求、即ち、エゴの行きつくところにオストラコンがあった。それぞれの扇動者が相手方を倒すための扇動を行い、扇動に敗れた敵対者は追放されていった。それは戦争やテロという武力、武闘によるものではなく、選挙、投票と言う、市民に与えられた民主的な手段によって行われたものであった。

人の要望要求には切がない。国家運営はそうした市民の要求を満たす為の政争に明け暮れ、国家の基本や、市民の自由で平等な最大公約が失われ、衰退していった。遂には後から勃興したローマ帝国の属領になるに至った。後世の歴史家はこれを評して、愚衆政治、愚民政治のなれの果てと呼んでいる。市民、民衆が民主主義を支えるべき能力が欠如されているにも拘らず、形だけを装って、民主社会を維持することの困難性をこのギリシャの悲劇は象徴していた。

今回の英国国民投票はどうだったのか。投票が終わった直後、EU離脱反対派はアンケートを取り、この投票は無効だったとの賛同者を350万人以上も集め、国民投票のやり直しを求めている。多くの投票者は離脱残留を真剣に考えずに付和雷同的に投票したのだと。終わった後の異議申し立ては駄々っ子の地団駄にも似ているが、彼等の主張にも一理はある。と言うか、キャメロンの辞任表明が速すぎた。

英国国民投票法、Referendumには、投票率が75%以上であり、且つ60%以上の賛成を得ないと、有効でない、との規定があるとのことである。であるとすれば、今回の投票率は75%に至らず、選挙管理委員会はその時点で投票の無効を判断すべきだった。更に又、離脱派が52.8%との数値を見て、6割に達していないのは明らかであったので、キャメロンが首相の座を退くというのは早計であった。

こうした点から残留派が異議を唱えるのは理解はできるが、既に動き出した巨大な歯車を止めることはできない。正に地団駄であり、この先2年かけて英国はEUから分離されて行くのだろう。キャメロンの失敗は英国民を過大に信用したことであり、それによって残留派が多数を占めることに狂いはないということだった。だが、実際には英国民はキャメロンが思うほど賢明ではなく、世界の人々を驚愕させた。一人喜んだのはポーランド出身のソロス位だろう。

世界の多くの人々の目には、この英国民の選挙行動が、嘗てのギリシャ愚衆政治のオストラコンと見えたに違いない。民主主義である以上、過半数の51%を得れば、それが社会を動かす決定となる。残り49%の反対派には従ってもらう他ない。民主主義の原理原則から言えば、そういうことかも知れないが、その結果、国が二分され、衰退していった例は、ギリシャを引き合いに出すまでもなく、多くの人々に予測できることだ。

これからの英国は国が二分され、既にスコットランドの分離独立が早くも再論議され、国がバラバラになって行き、嘗てギリシャが味わった衰退の道を歩んでいくに違いない。嘗ての英国病は、EUに加盟することによって克服されたが、今後はEUから離脱することにより更にひどい英国病に見舞われるに違いない。それは30年後か50年後か分からないが、嘗てのギリシャポルトガル、スペイン等々が歩んできた過去の遺産を思い出とするような普通の国かそれ以下の国になって行くのだろう。

民主的な手段により国民が選択した結果は尊重されなければならない。しかしそれは民主主義の一面の限界を示すものでもある。国の重要な方向を決定するに際して選挙民、為政者は心すべきことである。愚衆政治になってはならないのだ。


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