ちゃおチャオブログ

日々の連続

成都の3日間(43)帰国。旅の終了。

CA459機は定刻通りに離陸態勢に入る。
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次に成都空港へやってくるのはいつのなるか・・
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飛び立って、直ぐにも雲の上。成都市内を見ることはできなかった。
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機はこの先ずっと中国大陸は厚い雲の下だった。
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取り敢えずはビールで一息。北京ビールともこれで最後だ。
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早目の夕食が運ばれる。中国料理もこれで最後。
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中華航空、CA459便は、定刻通りの3時30分、成都空港を離陸した。出発5分前には搭乗ドアを閉じ、滑走路に向かって動き出した。羽田や成田のように、滑走路手前で順番待ちすることもなく、そのまま滑走路に侵入し、離陸する。この空港ではまだ発着の渋滞は起きていないようだ。成都市内は雨雲に覆われ、安定飛行に移るともう既に雲の上。来た時も中国大陸は厚雲に覆われ、地表は全く見ることが出来なかったが、帰国便も同様だ。懐かしき、中国大陸の山河を見ることはできなかった。

程なく早目の夕食が運ばれる。機内食を中華料理と呼べるかどうかは知らないが、これが今回旅行最後の中国料理となる。燕京卑酒(ペキンビール)ともこれでお別れだ。中国との絆が一つ一つ消えていく。2泊3日、本当に駆け足の旅行だったが、実り多かった。中国は北京・上海、東北部、江南・雲南、と殆どの地域を旅行しているが、ここ成都は未踏地だった。中国の中でも最も遠方にあり、航空運賃も高く、行きたいとは思ってもその機会がなかった。しかし、JTBの旅物語で3万円台の格安ツアーが案内され、直ぐに飛び付いた。一人では割高になるので、旧知の吉さんを誘って行ったが、彼も中国語を勉強している中国通で、この3日間、大いに楽しんだ。

当方にとってパンダはどうでもよかった。旅の付録であり、見られたらそれで良いなあ、という程度のものっだたが、実際目の前に沢山のパンダやジャイアントパンダを見ることが出来、癒されもした。希少動物、絶滅危惧種。中国政府の努力の結果、繁殖が保たれているのは喜ばしいことだった。が、一面、それが行き過ぎて、外交の切り札、利殖の元手にされているような傾向には首を傾げたくなる。もっと各国が自国の動物園で、自繁殖したり交換できる環境になってもらいたいものだ。各国から賃貸料を取ったり、生まれた子供の所有権を主張したりとは頂けない。

パンダをさて置いて、成都へ来ての一番の収穫は、何といっても三国志の古都、蜀の都であるとのことだった。標高500mの広大な盆地状の土地に開けた古都は、今は近代化の最先端にあり、蜀の古都から四川の省都に大きく変貌しつつあった。武候祠では蜀王・劉備玄徳のお墓を間近に見、1700年の間、成都の人々がこの墓を大事に守り続けた精神も垣間見えた。それから三国志に登場する英雄達の乾漆木造像。そこには諸葛孔明関羽張飛、その他時代を駆け抜けた英雄が居並んでいた。訪問する前に、三国志演義をもうちょっとしっかり読んでおくべきだった、と少しばかり後悔もした。

四川省全体は広大だ。ほぼ日本と同じ広さの面積を持っている。人口も約9000万人、日本より少し少ない程度だ。この広大な土地の中に、数々の景勝地が散在し、主なものでも、九寨溝、楽山、峨眉山黄龍等々数えきれない。又ラサまでは約1300キロ、東京から鹿児島までの距離にほぼ匹敵する。今回は本当の駆け足旅行。もしもう一度行くことがあれば、今度はゆっくり腰を据え、ゆっくり見てやろう。飛行機は漸く房総沖に出て、機体も高度を下げ、海岸線の民家の明かりも見えてきた。定刻の9時より大分前、成田到着。3日間の旅を終了した。
                             
                                           終


後は日本までずっと雲の上。下界は全く見えない。
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時々窓の外に目をやるが、相変わらずの厚い雲。
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日本上空に来て、漸く人家の明かりが見えてきた。
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外房の海岸線だ。
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成田上空だ。
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定刻の9時よりも大分早く到着した。
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