ちゃおチャオブログ

日々の連続

自衛隊護衛艦乗艦記(7)戦艦三笠艦上にて(最終)。

へり空母「いずも」はどこから見ても巨大だ。
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対岸の米軍基地。山の手前には原子力空母「ロナルド・レーガン」の飛行甲板も見える。「いずも」よりも更に巨大だ。水平さん他3000人からの乗組員がいるのだ。
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米軍基地前に頭だけ出している日本の新鋭潜水艦も見える。あれが「そうりゅう」なのか・・
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どぶ板通りでの昼食後米軍基地に入ったが、残念ながら原子力空母を見ることはできなかった。代わりに米国ビールを飲む。
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最後に三笠に乗ることにした。
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三笠の前に立つ東郷平八郎銅像
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海上自衛隊横須賀総監部の前のメインの埠頭に出店している海軍カレーの人の行列を横目に眺め、隊門近くで待っていた3人と合流し、地元の斎さんの提案で「どぶ板通り」まで出てお昼を食べることにした。「どぶ板通り」は戦後直ぐに米海軍が旧日本海軍に代わって横須賀軍港を本拠地にすると同時に、当時の「赤線地帯」としてスタートし、その後売春法が施行されて以降は米軍水兵さんの歓楽街として発展し、戦艦、空母等が横須賀に入港する度に、この通りに繰り出す米兵の姿がテレビに大写しされていた横須賀を象徴する場所でもある。

ここは昔はどぶ川の上に渡した板敷の通りで、「どぶ板通り」と呼ばれていたのだが、今はどぶ川も暗渠になって綺麗に舗装されていて、嘗ての淫卑な雰囲気はどこにもなく、又、ドル円通貨の関係もあるのか、今日通りを歩く米兵の姿もどこにも見えない。この街で、この地名だけが昔の思い出として残っている感じで、多少ライブハウスとか外人向けの土産ショップはあるものの、全体は現代的なストリートとなっている。そんな中でたまたま通りにファミリーレストランが開いていて、6人の大人数で入るには丁度良い場所だった。かなり歩き、かなり汗もかき、ビールが美味しく飲めた。6人での小皿料理。木原さんとは10年ぶり位に会い、話も大いに弾んだ。

ファミレスでかなり気分も良くなったが、今日のもう一つのテーマ、米軍基地の訪問が残っている。斎さんグループの3人とはここで別れ、我々3人は再び軍港に向かい今度は米軍基地に入ることにした。三笠公園の正面に戦艦三笠が繋留されているが、それを横目に見て基地に急ぐ。先刻「いずも」の艦上からチラっと見えた巨大原子力空母「ロナルド・レーガン」を見たく基地に入ったのだが、基地内の小山の陰に隠れていて姿は全く見えない。取り敢えず公園風の基地内を最先端まで歩いてみたが結局艦影すら見えず、そこで米国ドラフトビヤーを飲んで一休みする。米国ビールは流石にコクがあると言うか、味の濃いものだった。

その後、再び三笠公園に戻り、時間終了間近の三笠に乗艦する。この艦には過去2回乗艦しているが、何回来ても素晴らしい。近代日本海軍のシンボルだ。当時同盟関係にあった英国リバプールの名門ヴィッカーズ社製の当時としては最大規模の1万5千トン、主砲はアームストロング社製の40口径30cmの巨大砲で、明治期の日本海軍を代表する名艦だ。特に日露開戦時、東郷平八郎を司令長官とする連合艦隊旗艦として、最も危険なT字戦法の中心艦として敵前に艫を晒したが、結果その戦法は大成功を齎し、かの無敵艦隊、バルチックを殲滅した日本海海戦は、日本人のみならず、世界の人々に感銘を与えたものだった。

時間制限もあって、余りゆっくり見学も出来ず、足早に艦内を回り、我々3人、最後の見学者として三笠を下艦した。再び夕方の照り返しの中、京浜横須賀中央駅に向かうが、これから横須賀港フェアの花火を見る浴衣姿の男女と行違う。これから米軍基地の芝生に座って夜空の海に上がる花火を眺めるのだろう。夏は恋のバカンス、又々多くの恋物語が生まれるだろう。

今日は実に良い日だった。海自ヘリ空母「いずも」に乗艦し、2艘の護衛艦及び「しらせ」に乗船、旧知の3人と合計6人で昼からの宴会、その後の三笠乗艦。長らく思い出に残る1日となった。我々3人、このまま別れるのも忍び難く、更に小金井まで戻り、大黒屋にてクサヤパーテイ。海の日にはとっておきの一品だ。クサヤと焼酎。今年の夏もこれで乗り切れるだろう!

                                        完



三笠の特徴的な2本マスト(煙突)。
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艦長ブリッジに登ってみよう。
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ああ、東郷元帥はここで日露開戦の指揮をとったのか・・
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艦長室から船首と主砲を眺める。
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世界の名将、Admiral Togo。
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かの有名なアームストロング社製の40口径主砲。

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海戦中、伊地知艦長が片時も離れなかったという測距儀の前で最後の記念写真を撮って、横須賀を後にした。
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