ちゃおチャオブログ

日々の連続

薩摩・大隅500キロの旅(3)空中散歩ー三河編。

富士山を過ぎると、南アルプスの厳しい冬山が続く。
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自分はまだこの南アの峰には一座も登頂していない
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山すそを流れる大河。天竜川か、大井川か・・。川沿いの集落までよく見える。
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南アを過ぎると今度は三河の山だ。足助、鳳凰の低い山が見えてきた。
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ああ、平野と湾が見えてきた。三河湾蒲郡の辺りか・・
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国内線は国際線と比べて高度の低い場所を飛行するので、眼下の景色もよく見える。特に今日のような冬晴れの日は空気中の湿気も少なく、透明度も増す。僅かな時間だったが、富士の芙蓉を堪能し、次に南アルプスの峻険な峰々が見え、大井川か天竜川か、その山裾を縫うように蛇行する大河と、その周辺の集落。この川沿いで、皆どんな生活を営んでいるんだろう。もう何百年もこの川との共棲を続けてきたに違いない、平和な感じの村落だった。

南アルプスは険しい山が多く、まだ一座も登頂していないが、西伊豆の実家からは駿河湾の向こうに、今日見るような幾つもに重なった雪を抱く峰々が望見でき、子供心にも畏敬の念を持って眺めていた。当時はこんな高い山に登る等思いもよらなかったが、後年、還暦間近になって、こうした3000m近くの山を踏破するようになるとは、自分自身でも全く想像していなかった。今年は既に古希、足腰も相当弱まり、今更南アに挑戦するなど到底できないが、こうして機上から眺め、南から光、聖、赤石、塩見、と山名を類推していくだけでも楽しいことだ。

雪を抱く南アを過ぎると、今度は広々とした平野が見えてくる。三河平野から濃尾平野にかけての名古屋地方の平原だ。険しい雪山の峰の連なりを見てきた目には優しく映る。この辺りは殆ど新幹線で通り過ぎるだけの地方で、実際に歩いた経験は数少ないが、随分昔の学生時代には豊川稲荷にお参りしたり、その先の蓬莱山、鳳来寺まで行ったこともあったが、それはもう遠い昔のことだ。それからもう10年ほど前になるか、お正月の伊勢参りをした帰り、鳥羽からフェリーに乗って伊勢湾を横切り、渥美半島、伊良子岬まで渡ったが、今眼下にその半島も見え、その半島の付け根の付近には渡辺崋山田原藩もあり、更にその先には日吉丸の矢作川も見えてくる。

もう一つ先の半島の先端部には大きな滑走路が見えるが、セントレアに違いない。とするとこの半島は知多半島で、その直ぐ先には名古屋の市街地が見える筈だが、機は沖合を通過しているのか、名古屋を見ることはできず、そのまま紀伊半島の山中上空を飛行して行った。去年徳島へ行ったときも見たが、眼下の街並みは、高野山だろう。



ああ、三河湾の半島が見えてきた。渥美半島か・・。
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成程、長靴の恰好をしている。とすると、この先端部は伊良子岬か。
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ああ、前方に空港が見える。セントレアだ。
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伊勢湾の海外線は見えるが名古屋は見えずに通過する。この先の海岸線は伊勢志摩か・・。
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ああ、三川が良く見える。木曽、揖斐、長良。江戸時代、この治水事業には薩摩藩関ヶ原の処罰の意味で幕府から命じられて、多大な犠牲を払ったのだ。
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