ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(32)マカオ博物館・2

博物館の中には昔のマカオの賑やかさが再現されている。
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昔のマカオの港と、後方の砲台の山だ(現在のこの博物館の場所)。
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明治期に日本にやってきた外人は、東京の町の様々な音、下駄のおとなり、物売り、銭湯の音、等々に興味を持ったが、ここマカオでも同じような町の音が珍しがられた。
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裕福なポルトガル人の居間。
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結婚道具の花飾り。
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当時のポルトガル風の街並み。
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香港・マカオ旅行は9月末から10月初めにかけてのことだったが、その後湯河原、鹿児島等の旅行が重なり、この旅行記マカオ博物館で一旦中断となって、先に湯河原の1日旅遊を終わらせ、引き続き鹿児島にも取り掛かったが、こちらの方は鹿児島空港から鹿児島中央駅までシャトルバスで乗ってきた段階で、後回しにし、先に香港・マカオを進めるべく、再びマカオ博物館へ戻ってきた。来年の1月早々にはモラエスの生まれ故郷、ポルトガルを訪問することになっているので、こちらの旅行記も出来得ればポルトガル出立までには終了したいのだが・・。

マカオが中国に併合された2000年前後にこの博物館は新設されたのだが、矢張り中国本土や、日本国内で見る博物館と比べ、展示物は歴史的に浅く、ポルトガルがこの地にやってきた16世紀以降のこの街の生活史、風物などを知るには最適かも知れないが、歴史的、骨董的価値はそれ程見いだせなかった。従って、館内は足早に見て回ることにした。それに今日は、マカオを出て、国境を越えて隣町の中国珠江まで行き、ホテルのチェックインをしなければならないのだ。

忙しい中で館内を回ったが、それでも中には目を引くものもある。大唐時代やその後の宋元時代を別にして、大航海時代に入ってから最初にアジアにやってきた西洋人はポルトガル人。日本に最初にやってきたのは、例の種子島の鉄砲伝来で、1543年、天文11年のことだった。それ以前に彼らはここマカオをアジアの前進基地として広く極東方面への航路開拓を進め、種子島以降、日本へも貿易を求めて活発にやってきた。ザビエルが日本へやってきたのは1549年のことだから、この時から僅かに6年後のことであった。

そうした長い付き合いのあるポルトガル人。日本にも中国にもポルトガルからもたらされた生活習慣、食事なども幾つもあるだろう。尤もポピュラーで誰でも知っている言葉に「天ぷら」、「カステラ」などがあり、変わった処では刺激を意味する「ピリピリ」などもポルトガル語だ。唐辛子など名前に唐の文字が付いてはいるが、彼等ポルトガル人によってもたらされたのかも知れない。

そうした目で眺めて行くと、案外面白いものも発見できる。その一つが郵便ポストで、その真っ赤な寸胴型のポストは数十年前まで日本で使われていたものと全く同じ形色をしていた。注意深く見ていけば、もっといろいろと面白い発見があるかも知れない。



この町ではポ人、中国人が仲良く同居していた。
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豪華な輿だ。
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ここは調理場か。
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書斎か食堂。
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照明を暗くして、町の様々な音だけが響いてくる。
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ああ、郵便ポスト! これは日本のものと全く同じだ!
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