ちゃおチャオブログ

日々の連続

薩摩・大隅の旅(28)鹿屋海自資料館にて零戦を見る。

特攻記念館。正式な名称は海上自衛隊鹿屋航空隊資料館。
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入り口付近には海自らしく、戦艦大和の模型が展示されていた。
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1階は特攻隊関連の資料、遺書、写真等が展示されているが、2階にはゼロ戦が展示されている。
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零式艦上戦闘機、こんな間近に見るのは久しぶりだ。靖国黎明館以来か・・
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零戦の仕様が詳しく記載されている。
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ここ鹿屋の海軍基地から飛び立った若き特攻隊員は900名を超える。その特攻隊員の御霊を奉じるためにこの記念館が設立された。正式な名称は鹿屋航空基地資料館と言う。表立って英霊を祀りあげる行為が憚れる現在、ここは資料館という名前にはなっているが、展示品の大半は特攻として死んでいった各飛行隊の記念写真、遺品、遺書、携行品等の数々である。大半が若い飛行曹、一飛、二飛。中には30代後半の飛行大尉もいれば、40過ぎの少佐もいる。戦争末期、若い兵士を見送った最後に責任を取る形で飛び立っていったのだろう。

どの写真も真剣な眼差しではあるが暗さはない。明日死ぬかも知れない命を外に置いて、屈託のない笑顔が溢れている若者もいる。若者と言っても20代後半だから、既に飛行隊隊長になっている。酒を汲み交わしている場面もある。特攻直前の水盃だ。運命の時間軸を切断し、先輩後輩に続いていく。肩に力は入っていない。諦めの境地か、より多くの成果を上げんとする秘めたる意思か・・

数々の資料、映像、音響、武具。カメラを向けるのは不敬だ。いやその前に館内撮影禁止になっている。当然だ。彼等英霊に興味本位のカメラを向けてはならない。

2階正面に展示されているゼロ戦零式艦上戦闘機は特別だ。ここだけは写真撮影は自由で、何人かの来訪者が機の周りを好かず試さず行き来し、写真を撮り、尊敬の眼差しを向けている。好き者に違いない。自分も踏台のステップを上がって操縦席を間近に見る。若き血潮はこの狭い操縦席で、必死必殺の思いで敵艦に向かって行ったのだ。当たって砕けろ、日本人の敢闘精神が凝縮されたようなコックピットだった。名機ゼロ戦を生んだ日本は、戦争に敗れても敗戦国、従属国になることなく、見事に復活し、世界のリーダーの一国になっている。若き命は無駄な死ではなく、未来に生きていた。



ああ、機体後部には識別標識がある。詳しく見てみよう。
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識別標識。だが、所属部隊は書いてない・・
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操縦室まで見える。
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ああ、こんな小さな単座の操縦室。この個室の中で、特攻隊員は必至、必殺の思いで、敵艦に突入していった。自分との戦い、強い精神力。
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当時の日本の技術の粋、今の北朝鮮のICMB以上の知識、技術の結晶だ。
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