ちゃおチャオブログ

日々の連続

薩摩・大隅の旅(41)知覧特攻基地。

桜並木の突き当りが知覧基地になっている。
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周辺には飛行機が展示されている。
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陸自の飛行機だ。
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正面が特攻記念館だ。
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今は冬の季節で桜は全く咲いていないが、知覧基地に向かう進入路は両側に数百mに渡って桜並木が続いている。4月の花の季節には見事なものだろう。桜と大和魂。散り際の見事さを歌った過去の歌人は数多いて、何時の頃からか命短し桜の寿命が命惜しまぬ軍人の行動規範に結び付けられ、桜は軍歌にも歌われるようになった。この桜並木が尽きる正面に知覧特攻平和会館がある。車を降りて開館へ向かうまでの間、厳かな気持ちになる。自分の命を投げ出し、国の為に死んでいった若者。人生に選択の余地もなく、真っ直ぐ突き進んで行った。

会館内は、昨日訪問した鹿屋の海軍特攻記念館と同じような展示品が並べられていて、使用していた遺品、両親に宛てた手紙、遺書、どことなく淋し気な笑顔の写真、愛機と共にある写真、等々、見るにつけ痛ましい限りであるが、残念ながら、この会館は昨日の鹿屋と違って、全館撮影禁止であり、艦内の状況を写真に収めることはできなかった。

ただ会館の外は撮影自由で、復元された半地下壕の兵舎などもあって、出撃直前までこの薄暗い兵舎で寝起きしていた当時の厳しさ、張り詰めた空気のようなものが感じられた。二十歳になるかならないか、今から見れば年端も行かないような青少年が、国家や家族の為とは言え、自ら身を投じて敵艦に向かって行った。その強靭な精神力を思うと、齢70にもなる自分が、ただ単に馬齢を重ねてきたに過ぎない人間の小ささを感じるのだった。

半地下壕は通り抜けできるようになっていて、僅か半畳程の布団がきちんとたたまれ、これがその当時のものか複製かは知らず、日一日と迫る出撃の日、礼儀正しい中での他愛のない笑い、2-3人、4-5人が車座になっての酒の酌み交わし・・、或いは薄暗い灯火の元での必死の日記。とても耐えられることではない、地下壕の中ほどからは急ぎ外に出た。外も又林間の中にあって、小暗く、重い空気は変わるものでなかった。



会館の中は写真撮影禁止になっている。外側しか撮れなかった。
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会館の奥には古い兵舎も残されている。
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半地下壕の兵舎だ。三角兵舎と呼ばれている。
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中に入ってみる。忠実に再現されているようだ。
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布団も綺麗にたたまれている。
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当時の特攻隊員が使用していた什器類も保管されていた。
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