知覧基地の三角兵舎の横奥にはお寺もあった。
観音菩薩を祀る御堂だ。
境内の先の方に食堂がある。
行ってみると隼ラーメンとある。良い名前だ。
こってりしたトンコツラーメンで、濃い味覚だった。
知覧特攻記念館の横の三角兵舎の更に奥にはお寺と神社が建っている。この基地も鹿屋も米軍の空襲は受けたが、沖縄のように地上戦があった訳ではなく、敗戦後、米軍に占領され、武装解除されただけだったから、こうした戦時中の三角兵舎や寺社などはそのまま残っていたのかも知れない。特攻隊員は出撃前に護国神社にお参りし、戦勝を祈願し、併せ、お寺に招魂を願ったのだろう。お寺は観音菩薩堂だった。
林を透かして見ると境内の端の方に食堂がある。隼ラーメンとの看板が出ている。このラーメン店が戦前からこの場所にあって、兵士にラーメンを食べさせていたのか知らない。だが、こんなラーメン屋があっても良さそうだった。これから死地に向かう若い兵隊さん。ラーメンお椀の最後のいっぱいの汁まで飲み干し、日本の味、おふくろの思い出に別れを告げたに違いない。
店はカウンター席が10-15人程の小さな店で、時間帯なのかほぼ満席状態だった。出されたラーメンは豚骨味の九州味覚たっぷりで、これが鹿児島ラーメンと言うものか。濃いスープ味で、子分も最後の一汁まで飲み干した。見ていると他のお客さんも殆どそうしている。隼を思い、知覧でラーメンを食す。良い取り合わせだ。
加藤隼飛行隊と言っても、今の若い人には分からないかも知れない。戦時中ビルマ戦線で活躍した加藤大佐率いる日本陸軍最強の戦闘機集団だ。一式陸戦「隼」を駆使し、空中戦に長け、ハヤブサのごとく敵機に襲い掛かり、数々の戦果を挙げてきた。戦後、マンガの世界でも大活躍していたので、今の中高年には懐かしい名前に違いない。隼ラーメンから加藤隼隊を思い出し、ハヤブサあっての陸軍航空隊だったのだと、改めて思い起こし店を出た。
基地内には護国神社もある。
玉砂利が心地よい。
この参道の右手が特攻記念館になっている。
落ち着いた、静かな境内だ。
どこからやって来たのだろう・・、遺族会か・・、団参のグループがやって来た。