ちゃおチャオブログ

日々の連続

The Third Eye カトマンズへの道(48)プラーナーキラー城の資料館。

プラーナーキラー城、城壁の一部は辛うじて残っている。
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一部は既に崩れ落ちているが、修復作業も徐々に行われているようだ。
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城壁を上手にくり抜いた資料館に再び入館する。これはヴェーダか・・
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ヒンドゥーの経典が彫られているようだ。
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プラーナーキラー城で最後に立ち寄った所は、城門近くにある資料館だ。城塞に入って直ぐの右手にあって、最初に館内をチラッと見たが、客は誰も入っておらず、クーラーの良く効いた部屋で、研究員というよりも案内員と言った方があっていそうな二人の中年男は気持ちよさそうに居眠りしていた。椅子に座ったままこっくりしてしているのだが、あれでよくひっくり返らないものだと、実に上手に舟を漕いでいた。霊廟前の広い芝生緑地を横切り、ちょっとキオスクの大きな傘のパーラーの下でコーラを飲んで一休みし、それから再びここ資料館に戻ってきた。もう少しじっくりと展示物を拝見したかった。

客が誰も入っていないのは先刻同様だが、ガラスドアの入り口直ぐに座っていた案内員は今は目を覚まし、当方がドアを開けると同時に、中から椅子に座ったまま、ガラスドアを内側に開けるのを手伝ってくれた。まあ、案内員というか、中の展示物が盗難されないように見張っている警備員かも知れない。ただ先刻も感じたが、今改めて眺めてみても、盗まれるような価値の高い展示物はなさそうだ。

インドはモヘンジョダロに代表されるように、世界4大文明発祥の地の一つになっている位だから、長い長い歴史を有している。しかしそれはパンジャブ川流域の低地の方であって、ここでデカン高原の端の方にある高地では文明の波及は大分遅れていたようだ。今も昔も農耕工作には適さない不毛の土地で、人口も周密的ではなかんおだろう。見た処、日本の縄文時代よりもずっと後の石器、青銅器文明のようで、目を惹くようなものは見当たらなかった。宗教的な彫刻、石仏なども大分後年になってからのもので、勿論そこには仏教的な仏像などではなく、ヒンドゥーの神々だ。

自分は研究者でもなく、興味本位でこの資料館に入っただけのこと。何枚か気になる展示品をカメラに収め、ここを出ることにした。次にこのプラーナーキラー城の直ぐ横にある動物園に行くことにしよう。何かインド的な動物がいるかも知れない。ガラス扉の直ぐ内側の椅子の警備員は、半分眠そうな態度で又物憂げにガラス戸を開けて、当方を外に出してくれた。自分が出ていけば、又ゆっくり昼寝ができるともいわんばかりに、大きくガラス扉を開けてくれた。



インドでは宝石は昔から採れていたようだ。
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フマユーン大王時代の王侯貴族が身に着けていた宝玉か・・
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ああ、これは発掘された人骨だ。・・いつの時代だろう・・。
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