ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(9)サグラダファミリア回想。

無数の彫刻が教会の外壁を覆っている。
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この教会が建設を始めてから、既に100年以上は経過している。この先何年かかるか分からない
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教会正面の外壁には、キリストの生涯がレリーフで飾られている。
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30年前、ネギさんが言っていたように、すごい建築物だ。
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教会の前には小公園などもあって、涼むこともできる。
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世界遺産サグラダファミリア。この教会が建て始められてから既に100年以上が経ち、完成までにはこの先更に何年かかるかは分からない。将に生きている教会。年々成長する生き物のような教会がサグラダファミリアだ。自分が50年前にバルセロナへやって来た時にも、この教会は当然今のこの場所で建設中だった。しかしその時は、今ほど有名でもなく、世界遺産にも登録されていなかった。当時、仮に登録されていたとしても、見にやってきたかどうかは分からない。既にヨーロッパ各地で沢山の荘厳な教会を見てきていたので、時間の無い中で、敢えて見に来ることもなかったかも知れない。従って、この教会を見るのは、自分にとっては今日が初めてだ。流石に目を引くものである。

50年前、この街にやってくる以前からこの教会の名前は知っていた。ガウディが今ほど有名で無かったとしても、奇妙な建築家が奇妙な教会を建てている、とのニュースなり噂は耳にしていた。しかし当時の自分にはそれ以上に興味をそそられる芸術家や画家、建造物が山のようにあり、ガウディへの関心はそれ程高いものではなかった。それが何年か後、旧友のネギさんが商用でヨーロッパを旅行することになり、その行きか帰りかにこのバルセロナに立ち寄り、この教会を見てきた。帰国後の彼の話の中に、このサグラダファミリアの奇観、100年かかっても出来上がらないという永続性、細かい芸術作品を散りばめた外壁やファサード、荘厳な気持ち、Pureな精神性。それ等について熱弁を振るう彼の話を聞いていて、自分自身実に残念に思った。ネギさんが熱弁を振るうそれだけの価値ある教会、何であの時行かないでオミットしてしまったのか、と。今度バルセロナに行く機会があれば、何を置いてもこの教会だけは見ておかねばばならないと。

そうして今日再びこの街にやってきて、先ず最初のいの一番にやってきた場所がここだった。カタルーニャ広場ではそれ程感じられなかった沢山の観光客がここでは四方八方から教会を取り囲み、眺めすかしている。稀に見る芸術品に接する人々の気持ちや態度が表情に現れ、ささやきが交わされている。バルセロナ観光の最大のスポットの一つがここにあることは間違いない。沢山の人が教会内部に入るために列を作っている。自分もその列に並び入場を待っていると、係員がやってきて、予約票を持っているかと聞いてくる。何のことかと聞き返すと、この教会に入るためにはインターネットでの事前の予約が必要とのことである。従ってこの列に並んでいても、中には入れない、とのことだった。・・何と! そこまでは知らなかった。教会はどこでも自由に出入りえきるものと思っていたが、このサクラダファミリアだけは特別のようだ。決まりがそういうことなら、今日の入場は諦めるしかない。

教会の周囲を歩き回るしかできない。それでも良いだろう。この奇妙奇天烈なオブジェのような大教会の外観を眺めるだけで十分だ。今は亡きガウディの精神性は十分に伝わってくる。それは何か。キリストに仮託されてはいるが、それは人類の多様性であり、永続性だ。だからこの建物は永遠に建て続けられなければならない。500年後もこの場所で、猶、工作機械が動いていて・・、その頃は丁度バベルの塔のような巨大なものになって、猶も成長し続けている。ファサードの外壁は数えきれない装飾品で飾られているだろう。宗教の多様性、人類の混沌からの昇華。東洋からやってきた年老いた観光客の足元を見たのか、移動キオスクでバカ高いコーラを買って、炎天の中飲み干すまでの間、教会を眺めていた。



公園の周囲には幾つかの移動キオスクが出ていて、8ユーロもするバカ高いコーラを買わされた。
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最後にもう一度サグラダファミリアを眺め、次のグエル公園に向かう。
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公園はファミリア教会からは真っ直ぐの坂の上にあり、歩いて行けない距離ではないが、バスを利用した。
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グエル公園。ここも又アントン・ガルデイが設計したものだ。
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さてゆっくり公園内を散歩しよう。
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