ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(111)コルドバのテルマエ・ロマエ跡を見て新市街地へ。

ユダヤ人街を出たところにローマ時代の遺跡の案内がある。
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どんなものか様子を見に行くことにした。
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確かに古めかしい遺跡のようでもある。
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テルマエ・ロマエ! ローマ風呂の跡があるというので階段を下る。
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残念ながらカラカラ浴場のような遺跡は整備されていなかった。
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ギリシャ・ローマ文明が花開く以前から地中海地方はフェニキヤ人等による交易が盛んに行われていたといわれる。その後ギリシャが地中海の覇権を握り、沿岸地方に海外植民地、直轄地を持つようになった。トルコの黒海沿岸や小アジアなどに今でも当時の立派な遺跡が残っている。イタリアのシシリー島には、シラクサという当時のギリシャの名前の町が今でも残っている。

ローマ時代になって、その海外領土は更に拡大され、ここイベリア半島北アフリカカルタゴトリポリなどの海外都市国家が形成されていった。ここコルドバがいつの頃からか都市を形成していったのかは自分には分からないが、随分以前のローマ時代の前からこのグアダルキビル川の舟運を利用しての町の発展があったのではないかと思っている。

紀元前3世紀、ローマ人がこの半島に進出するに従い、この町と川の下流にあるセビリアは早い段階から帝国の領土に組み込まれ、ローマ風の都市が形成されていった。その当時、一緒に付いてきたユダヤ人も町の発展に寄与していたに違いない。国を追われたユダヤ人は各地に散らばり、そこでも又異邦人として迫害されたが、民族が団結し、その迫害にも耐え忍び、21世紀の今日までこの町に居続け、今見るような真白の清潔な通りを作っている。この国にはジプシーも数多く住むといわれるが、スペイン人は国民性がおおらかなのかも知れない。

そのユダヤ人街を出ると、すぐ近くにローマ時代の浴場跡があるという。ああ、コルドバテルマエ・ロマエか。案内板に従って向かうと、その付近はまだ整備の途上のようで、ローマのカラカラ遺跡を見るようなはっきりとした浴場跡を見ることはできなかったが、赤レンガ造りの遺構はローマ時代の賑わいを想像することもできた。さて、アルカサルで随分歩かされた。どこかで少し休憩しよう。



さて、新市街の方へ歩いて行ってみようか・・
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少し喉も乾いてきた。どこかで一休みしようか・・。
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昼の時間でレストランもシエスタ??
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ああ、ここは綺麗なレストランだ。うむ、タベルナ? タぺリア?
スペイン語では「タベルナ」がレストランだ!
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うーん、スペインの地ビールはおいしい! アルハンブラ
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