<症状緩和と自分との戦い>
由美子の症状は急に激変するものではなく、一進一退を繰り返し、都立府中病院での最初の集中的な治療で状態は緩和し、3か月程で退院となった。しかしそのまま緩解という事ではなく、症状はいわゆる日和見的で、良くなって全く異常が感じられなくなり、安心していると又暫くして悪化を繰り返した。その数年の間、入退院を繰り返し、SLEに対する斬新的な治療を行っているとの情報で、新宿戸山台の国立国際医療センターへ入院したり、慈恵大学、昭和医大、東京医科歯科大学病院等での入通院を継続していた。
一時期症状も良くなり、自宅近くの東京農工大学工学部に学士入学し、免疫系の生化学、生物化学、物質科学、遺伝子工学等の勉学にも励んでいた。本人が勉強熱心なことは看護学校時代に知ってはいたが、こんな病気になっても尚また大学に入り直して勉強する。分厚い専門書や横文字の教材に向かって取り組む姿を自分は冷ややかに見ていたが、本人からすれば、医学ではなく、科学面からこの病気の原因を突き止めたい、医者に治せないなら、自分の力で解明したい、との強い思いがあったのかも知れない。
その後高齢の実母の面倒を見る為、一時的に居を埼玉に移したが、その間、再び埼玉県立大学の看護学部に再入学し、そこも無事終業し、保健師の資格も取ることができた。看護師資格でも大変難しいが、更に保健師は国家試験の中でも難しい試験の一つで、並大抵のことではないが、40歳を過ぎてからの再入学とその後の国家資格の取得。この頃が本人にとっても一番輝かしい時代だったのかも知れない。保健師になって非正規ではあるが埼玉県の職員に採用され、各地保健所での指導的な役割も務めることもできた。