この悲痛な叫びのような文書に対してのその後の病院からの回答はなかった。
にも拘らず由美子はその後も、つい先月亡くなるまでの長い間、秀和病院での
入退院、透析治療を継続してきた。由美子の最後の、この遺言のような手紙に
対し、病院関係者、担当医師がどう捉え、理解し、その後の治療にどう役立て
て行ったかどうかは、全く聞いていない。
本人の心からの叫びを病院がどう受け止めたかは別にして、本人には既に諦めの
境地、生きることの難しさ、いつお迎えが来るかも知れない境遇を達観し、1日1日を
生き延びるのに精いっぱいだったのかも知れない。
このしばらく後に由美子は隣町、松伏町にある霊園に墓地並びに墓石を買い求め、
50年間の永代供養料も同時に納めていたのだった。
<最後の日々>
常のことだが、病院からの電話ほど気持ちの悪いものはない。大体が良くない知らせだ。担当看護師からの本人確認の後、今日の何時までに病院に来て下さい、との有無を言わせぬ要請に、何はともあれ病院へ駆けつけなければならない。本人が元気なら本人から電話が来るはずなのに、それが出来ないから代わりに看護師が電話をかけて来るのだ。自分の携帯電話番号が緊急連絡先に登録してある以上、やむを得ないことだ。
過去そんなことが何回かあって、ここ小金井から3時間かかることを伝え、その3時間をプラスした時間帯に病院へ行くのだが、そんな緊急の電話を受けていざ病院へ駆けつけると、その時はもう由美子の状態は安定していて、にこにこ話ができるのが常だった。