裁判は3年以上続いたが、このような医学的知見もない情状書面が国を相手の裁判で斟酌される余地もなく、一審は敗訴した。本人は尚諦めも着かず、東京高裁に控訴したものの棄却され、更には最高裁まで上告したが、門前払いとなった。当時は厚労省年金不払い事件や、電通過労死事件等の厚労省叩きの不祥事も顕在化しておらず、現在の社会風潮であれば或いは勝てたかも知れない裁判も、当時の全面敗訴という結果に本人の精神的なダメージは少なからずあったかも知れない。結果に対するもしもは意味のないことではあるが、もしもこの時勝訴していれば、或いは彼女のその後の病状も恢復傾向に進んで行ったかも知れない、残念さはあった。
<病気/病院との戦い>
10年ほど前、東京医大に再入院した時に由美子は最大の危機を迎えた。この時本人は死も覚悟していたようにも思えた。腎臓は悪化の一途をたどり、殆ど機能不全に陥った。大量の薬剤投与で、辛うじて一命を取り留めた感もあった。漸く回復し、車椅子での移動が可能になり、医大病院8階の窓から見える東側秋葉原駅前に建設中の高層ビルが日に日に高くなり、形が整って来るのを車椅子から眺めていたが、果たしてこのビルの完成を見ることができるだろうか、との危ぶむ気持ちもあった。