ちゃおチャオブログ

日々の連続

The Third Eye カトマンズへの道(39)インド門にて。

インド人の誇り、India Gate,インド門。
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巨大な門だ。
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ゲートの中央にはトーチが燃え続けている。
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又、兵士も常時警備に当たっている。
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50年前、自分がまだ学生だった頃、一度インドを訪問しているが、このインド門に関する記憶がほとんどない。ケニヤ・モンバサからセーシェル島を経由して最初に上陸したボンベイ。そこにあるボンベイ門は強烈な印象が残っている。スラムの貧民街を通り抜け、海際の埋め立て地のような場所に出ると、そこに海に面して真っ白な象牙のゲートが立っている。海上からやってきたイギリス人が最初に目にする巨大な門。インドへはこの門から入るべし。そんな強烈な印象を受けた。その後デリーに来て、このインド門も見た筈であるが、ボンベイ門の余りにも強い印象に、このデリーのインド門についての記憶はそっくり抜け落ちてしまったようだ。何かボンベイ門のコピーを見ている感じで、印象に残らなかったかも知れない。

その後、今から5年ほど前、阪急トラピックスのツアーでデリーに来て、車内から通りすがりにこの門を見て、急いでシャッターを切ったのだが、移動中の車内からで、被写体を上手に捉えることができなかった。それから半年後、今度は一人でインドを訪問し、再びこの門までやってきて、2台のカメラで念入りに撮影したのだが、全く不運にも、そのカメラが2台とも盗難に遭って、又々写真撮影には失敗した。今日は3度目の正直だ。今日こそは、この国の誇り、India Gateをばっちり撮ってやろう。そう、独立運動の獅子、マハトマガンジーがこの門よりスタートし、無抵抗の行進を続け、遂にはインド独立を勝ち得た、栄光のこの門を。

インド門。パリの凱旋門に似せて作られたそうだが、そもそもは第一次世界大戦で亡くなったインド軍兵士の霊を弔うものだった。豪州、ニュージーランドの各地で、アンザスの兵士を弔うのと同じ流れだ。当時、これ等の国々は大英帝国の一員として、世界大戦に出征し、参加したことに誇りを持っていた。独立よりも先に連帯だった。だが、第2次世界大戦になり、その連帯は急速に瓦解し、各国で独立の機運が高まった。大戦が終わり、旧英国植民地の殆どすべては独立した。このインド門は、インド独立の象徴として、毅然と立っている。



テロの頻発する国だから、兵士も小銃を構えている。
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INDIA、の文字が見える。第一次大戦で亡くなった兵士を祀る門として建造された。
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バスが到着したのか、観光客も集まってきた。
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インド門をバックに写真を撮ってもらう。
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