ちゃおチャオブログ

日々の連続

能登の春(6)輪島駅にて。

空港からはバスで20-30分、途中三井と言う集落のバス停もあったが、輪島駅に到着した。
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駅と言ってもここは鉄道駅ではなく、バスの道の駅だ。
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嘗て、ここ輪島までは金沢から鉄道が通じていたのだ。その当時の思い出の線路が残されていた。
線路の向こう側に博物館がある。行ってみよう.
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博物館は休館だったが、その1階には大きな輪島塗のパネルプレートが展示されていた。
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能登里山空港から輪嶋まではバスでも30分も掛からない。距離にして20-30キロか。途中停留所が3-4か所あるが、誰も乗り降りしない。途中の集落で三井という名前の集落があったが、気になった。三井と言ったら天下の大三井。空港と輪島のほぼ中間地点の山間地、田園の中の小集落だが、どうしてここが三井という地名? ちょっと疑問に思ったが、自分の今の知識では解く術はない。天下の大三井とは関係なしに、昔からこの山間の僻地は三井部落と呼ばれてきたのかも知れない。例えば、井戸が3つあるとか・・。もしも天下の大三井と関係あるのだったら、それは興味深々だ。

バスは輪島市内に入ってきて、最初に警察署の前を通過する。市街地の外れにあるが、空港や半島の反対側に出るには便利なロケーションに違いない。道路は心ろなし、海岸に向かって下っているようだ。そういう扇状地のような地形の海べりに輪島の町が形成されたのだ。警察を過ぎて、最初のバス停が市立病院前。3階建ての立派な病院だ。ここで初めて二人の客が下車した。この先からは輪島の市街地に入る。輪島高校の前を通り、終点、輪島駅に到着。残りの乗客全員、5人程がここですべて降りた。その後、皆さん又別のローカルのバスに乗り換えるのか、タクシーで真っ直ぐ自宅へ帰るのか・・、三々五々散らばって行った。

輪島駅と言っても、鉄道が通っている訳ではない。嘗てJR七尾線がこの輪島まで来ていたその名残の駅名だ。が、今は合理化の波に押し流され、もう何年も前に廃線になっている。七尾線は今でも金沢から一つ手前の穴水までは運行されているが、穴水から輪島までの僅か10キロにも満たない区間、どうして廃線にしたのかJRの考えが納得できないが、自分以上に輪島の人々はその思いが強いだろう。今でも当時の線路、踏切、ホームなどの一部が保存されている。駅への愛着。去年鹿児島の枕崎線の終点、枕崎駅を訪問したが、あそこは廃線後も依然と同じ駅舎、ホーム、待合室が保存されていたが、こちら輪島のほうは、ミニチュアサイズに縮小されて保存されていた。

昔の駅舎は取り壊され、市の観光課か第三セクターかの近代的な2階建てのビルになっている。踏切を渡った先には、4階建ての大きなビルが建っていて、市の施設になっている。その一部がホールと博物館で、輪島塗の展示品があるようだが、現在は休業中。このかなり大きな劇場型ホールも、びっちり施錠されていて、内部を見ることは出来なかったが、これ等の施設は輪島の振興を図って建てられたのだろうが、今となれば大いなる箱物となっている。博物館には入れなかったが、1階ロビーに展示してある漆黒の輪島塗りの大きな平板の中に真っ白なカモメが海上を演舞している図柄は圧巻だった。

丁度お昼近くになっている。駅前だから食堂位はあるだろう。探すと、新駅舎ビルの並びにレストランがあり、外看板のメニューを見るとランチもあって、この店に入ることにした。料理が出来上がるまでの少しの間、先刻案内センターで買った絵葉書、早速孫へひらがなで書いて送ることにした。自宅からは62円の切手も持ってきたが、案内センターでも売っていた。その場の思い付きで、絵葉書を送る人にとっても親切だ。千枚田の特殊写真の絵葉書、1枚150円は少し高い気もするが・・。そうこうする内にランチが運ばれ、輪島での最初の食事、美味しく頂くことができた。



カモメが海上を乱舞している輪島塗。大きな芸術作品だ。
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この輪島塗パネルの裏側には芸術ホールがあるが、・・多分、宝の持ち腐れになっているのかも知れない。
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ホールではこうした輪島踊りが演技されるのだろう。
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駅舎ビルの並びにレストランがあり、お昼のランチを食べることにした。
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