ちゃおチャオブログ

日々の連続

能登の春(41)穴水の桜の駅を見て、能登島へ。

七見を過ぎると穴水に入ってきた。
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ああ、浅瀬にボラ待ち櫓が見える。随分優雅で古風な漁法だ。
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ああ、夏牡蠣の養殖筏も見える。ここは牡蠣でも有名だ。
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嘗ての海軍潜水艦基地。今はどこにもそんな表示や案内も無く、歴史は闇に押しやられている。
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道の駅、ポケットパーク七見から先は穴水の町に入る。同じ能登半島でも、この富山湾に面した海岸線は、外海の側とは違って、道路沿いに集落が続く。海岸沿いに道路が走り、その向かい側に住宅が続く。大友家持の富山湾回遊にもある通り、珠洲までのこちら側の海岸線は古くから人の移動も多く、集落も発展していたに違いない。この辺りは当時は越中国の一部であった。

歴史的にもそうだが、何故か鉄道も金沢を発する七尾線は、七尾を経由してこの穴水を通り、先刻の宇出津まで通じているのだが、以前はその先の輪島まで通じていた線路を廃線にし、輪島は陸の孤島になってしまった。今は高速バスが金沢との間に頻繁に往復しているので、足の不便はないと思うが、鉄道は町のシンボルだ。無人駅であっても鉄道が通っている町といない町とでは、町の人々の気持ちにも大きく影響するだろう。今でも新幹線駅、新設鉄道には県知事初め、市町村長経済団体等、血眼になって、誘致合戦をしている。輪島ー穴水間、僅か10数キロ、経営上の問題はあるとはいえ、JR東海もむごいことをしたものだ。

江戸時代か、或いはそれ以前から行われていたであろう「ボラ待ち櫓」。浅い海面にヤグラを組み、漁師はしに櫓の上でボラの魚群が回遊してくるのを待って、丁度その櫓の下を通過した時、海中に広げておいた漁網を瞬時に引き上げ、ボラを一網打尽にする仕掛け漁の一種だが、そのボラ待ち櫓が七見を出て直ぐの場所に見えてきた。投網と違って、随分悠長な漁法ではあるが、この海には、それ程回遊魚が多いいと言うことだろう。うさぎと切り株の故事を思い出し、つい微笑みたくもなったが、人々の「足るを知る」、今日1日の漁があればそれで十分だ、の気持ちがこの漁法に生きづいているようにも思えた。

このボラ待ち櫓を少し進むと、右手に線路が見えてきて、その先に満開の桜に縁どられた駅が見えてくる。能登鉄道「さくら駅」だ。少し高台にあるホームの両側に満開の桜が咲いている。丁度良いタイミングに来た。何人か、花好きなのか、カメラ愛好者なんか、ホームに上がって桜を眺め、写真を撮っている。ここは無人駅。いつの頃桜の苗木が植えられたのかは知らないが、その頃は駅長や駅員もいて、この駅の名前にちなんで、ホームの両側に桜を植樹し、毎年作話を愛で、乗客にも喜んでもらっていたが、それから数十年、駅員は去って行って、今は無人駅。が、桜は勝手。人がいようがいまいが毎年時期になると花を咲かせ、又新たな人を呼んでいる。

穴水は戦争末期の潜水艦訓練基地。実態はよく知らないが、訓練と言っても実態は人間魚雷の特訓をしていたのだろう。穴の水。海軍軍令部の誰がこの地を海軍基地にしたのかは知らないが、実にぴったりの名前の基地だ。その名の通り、入り組んだ入江が幾つも重なって続き、やや賑やかな穴水市街地を通り抜け、次に能登ツインブリッジを渡って、能登島に向かった。



穴水の入り組んだ入江が続く。
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ああ、又別のボラ待ち櫓が見えてきた。
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能登鉄道さくら駅。丁度今桜が満開だ。
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穴水の街を通り過ぎ、これからツインブリッジを渡って能登島に向かう。
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