ちゃおチャオブログ

日々の連続

能登の春(45)能登観音にお参りし、空港へ。

七尾からは和倉、穴水を通って、能登大仏へやってきた。
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広大な敷地の中に大仏が鎮座している。
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実際、大きくて、堂々たる大仏だ。
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どこの誰、どんな宗教法人がこの場所に大仏を建立したのかは知らないが、広大な森林の中には、いろいろな宗教施設がある。
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日本全国各地に大仏がある。日本最初の大仏は奈良の東大寺にある毘盧遮那仏大日如来)で、大概の日本人は小中学校や高校の修学旅行で奈良に行き、この大仏様を拝観している。次に有名なのは鎌倉の大仏で、この大仏は鎌倉時代に建立されたものだが、その後の津波で建屋が流され、大仏だけがむき出しに座している。むき出しの大仏。それ自体で引き付けるものがある。ここも又修学旅行等で来たことのある日本人は大半だろう。その他津々浦々、金回りの良い宗教団体が建立したり、或いは奇特な資産家が寄進したりと、日本人の大仏信仰は根強い。

今回の楽しみの一つ七尾城。途中の道路工事で七尾古城まで行くことが出来ず、代わりに余った時間市内にある国分寺跡でも回ってみようかと、地図を見ていると、空港までの途中、穴水の町を抜けた先に能登大仏があると出ている。そうだ、大仏に祈願することは良いことだ。中学生以来の習わしだ。レンタカーの返却時間までには十分時間も余っている。お参りしてから空港へ行くのも十分時間はある。

山を下り、市内を走らせて先ずは国分寺跡を探すがよく分からない。市内に寺社群地区という表示もあって、住宅地の奥の山際の方まで行ってみるが、お寺は幾つかあるが、国分寺らしい跡地は見つからない。東京国分寺とか海老名市は、跡地を大々的に整備して、ここにお寺があったことを誇りにしたり、山口の防府などでは今でも当時の金堂が現存していたり、又岡山総社市では五重塔すらも残っている。ただ多くの市ではそういうことはなく、単に地名として残っている例が多い。この七尾市ではどうなのか、探し当てることも出来ず、どんな形状かも判断できなかったが、代わりに山の端の古刹の満開の桜を写真に撮って、慰めとした。

国分寺があるということは古代、律令時代にはここに国府があり、聖武天皇は我が后光明子の病気平癒の為に全国国府の地に建立したものだが、この七尾も律令時代能登越中国から分離して、新たない能登国となった時の国都だったのだ。ただここも又先の七尾城同様、その地に立つことは出来ず、1300年前の古代の風を感ずることはできなかった。

街の中心に七尾駅があり、その向かいに国道を挟んで七尾市役所があり、その国道を北上して行くと、左手に如何にも行楽地の風情の和倉駅があり、直ぐその先の右手には和倉温泉の高層ホテルが並んでいて、少し進むと穴水に出る。ここも古くからの町で、寺社仏閣、名所旧跡も幾つかあるが、それ等を個々に回っていたら、時間が幾らあっても足りない。右手の静かな湾には幾つもの生け簀が浮かんでいるが、夏牡蠣の養殖だろう。1個500円もするような、サザエと同じくらいに高い牡蠣を今ここで食べることも無いだろう。冬になれば東京のスーパーでも幾らでも生カキは買える。

今朝来るときに能登島に渡りツインブリッジを通ったが、その分岐の交差点を過ぎた直ぐ先の林の中に能登大仏の霊場があった。広大な敷地の中に幾つかの宗教施設があり、その中心に大仏が鎮座していた。大きな金剛佛。どこの誰が、又は宗教法人がこのような広大な土地に金剛佛を建立したのか・・。世の中の平和、戦争の無い世界を願って建立したのだろう。何人かが参拝し、それぞれ願い事をしている。大仏までのほぼ200m程の祈りの参詣路を歩き、自分も去年亡くなった妻を祈り、世の中の平和を願い、マハービルシャナ、大日如来に祈りを捧げた。



この林の直ぐ外は能登の海だ。
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能登大仏に妻のこと、今回の旅行の安全、その他をお礼して、能登里山空港に戻ってきた。
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何はともあれ、事故もなく、無事に戻れて良かった。
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取り敢えず、空港レストランで3日間の疲れを癒す。
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