ちゃおチャオブログ

日々の連続

能登の春(44)七尾城断念。

七尾城へ向かったが、途中で行き順を間違え、能越高速道に入り込み、又戻って山道を上って行ったが、途中で道路工事の為に行き止まりになっていた。
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止むを得ず城山へ行くのは諦め、今来た道路を引き返す。山の中腹からの七尾の町並みも素晴らしい。
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前田利家が町割りしたという七尾。七つの尾根があることからそう呼ばれたようだ。右のほうは氷見だ。
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この森の辺りが国分寺があった辺りだろうか・・
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自分は城巡りを趣味にしている訳ではないが、全国の主だった城郭は大体見て回っている。印象深いのは戦国時代から現存する国宝の城郭であるが、そうした歴史的建造物がなくても、石垣だけの山城、風光明媚な山上の城、等々、思い出に残るお城は全国に点在している。

又最近では八王子郊外にある八王子城址、そこは豊臣時代、小田原城に先駆けて秀吉勢に攻め立てられて落城し、城に残された北条方の妻女死者数千人とも言われている悲劇の城であるが、休日などその城址へハイキングへ行くことも多く、これ等の山上の城跡は今では当時の形骸は殆ど残してはいないが、地元の人々には今なお城山と呼ばれ、嘗てはそこに山城があったことの記憶が山の名称として残されている。全国に一体何か所の城山があるのかは、自分には分からないが、あちこち旅行したり、山歩きなどしていると、そうした城山に出会うことも少なからずある。

ここ七尾城も同様に城山と呼ばれ、八王子が城址公園と呼ばれているように、こちらも城山城址公園と呼ばれている。食祭市場のある海岸から七尾市街地を越して、前方に山並みが見えるが、その山の中腹にお城はあった。これからその城址に向かって町を縦断し、道路標識に従って進んでいくと、何を間違えたのか、車は高速道路に入って、能越高速道を走って隣町の氷見まで行ってUターンすることになったが、新設の高速道路、片側1車線でトンネルも多く、慣れないレンタカーで冷や冷やしながら往復したが、矢張り運転慣れしない高齢ドライバー、少しばかり肝を冷やした。

城址に向かう道路は、その高速道の下を潜って山中に入って行くのだが、その城址公園に向かう取り付け道路のようになっていた。が、10分ほど走らせると、道路は途中で通行止めになっていて、見ると前方に工事用の大型ダンプが止まっていて、その前方の斜面にはしゃべるカーが数台エンジンをうならせて土木工事をしている。後で分かったのだが、去年か一昨年の大雨で土砂崩れが発生し、道路の復旧工事をしているとのことだった。初めて行く場所。ここから城址まで登山道があるのかどうかも分からず、又往復の時間も分からない。残念だが今回はお城巡りは諦めて、ここから引き返すことにした。

天下の堅城七尾城。戦国時代の知将上杉謙信も城攻めには苦労したが、漸く謀略により落とすことができた難攻不落の城であった。織田豊臣の時代になって前田利家が金沢に移る以前にこの城を領知することになったが、希しくも利家はその後の八王子攻め豊臣方の総大将を務めることになった。偶然かも知れないが、この城跡も八王子も現在日本100名城に数えられている。利家はこの城に拠って眼下の七尾の町割りを行い、同じ人物が八王子城攻めを行い、天守、御主殿を悉く灰燼に帰し、妻女数千人を死に追いやった。

参道を下り降りる途中、眼下の七尾の町並みを眺め、歴史の数奇、400年を経た今も二つの城山として現在に生きている偶然、様々なことを思い、時間は早いが空港に戻ることにした。城巡りが出来ずに浮いた時間、市内の国衙国分寺跡でも見て回り、帰り道にある能登大仏にもお参りし、今回の旅行のお礼をしよう。後数時間、事故には気を付けよう。



結局、国衙国分寺跡は分からず終いだったが、近くの古めかしい神社の境内の桜が奇麗に咲いていた。
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七尾を後にして、空港に戻ることにした。能登島が既に後方に見える。
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能登、七尾、穴水の良い海だ。
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飛行機の時間にはまだ十分時間がある。あの岬の先に能登大仏がある。お参りしてから帰ることにしよう。
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