ちゃおチャオブログ

日々の連続

5.1.(水・小雨)令和元年。

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令和元年5月1日。今日から令和の元号が始まる。令和元年の最初の日だ。天気は朝から小雨。昨日から今日にかけ、テレビは終日、平成天皇の退位から令和天皇の即位までの関連番組で埋まっている。202年振りの生前退位となるが、202年前は、徳川の御代で、天皇家は京都で静かに過ごされていた。生前退位にしても崩御、即位にしても、それは天皇家の出来事であって、公家の中では大きな出来事に違いないが、一般庶民から遠い存在で、武士を始め、一般庶民は、殆どニュースにもならなかっただろう。将軍様の身罷れは大ニュースだったが、元号変更など、しばしば行われ、暦の名称の変更程度にしか思われていなかった。
今回の大フィーバー。それは主にマスコミ、テレビ、メディア等により作られたものだが、軽佻浮薄とは言わないまでも、それに乗った若者が渋谷のスクランブルに大挙押し掛けてカウントダウンもどきの大騒ぎを演じたり、中年高年の人々も、今日の日付の御朱印を貰うため多くの神社に押し掛けて、列を作ったりしている。それは一部の浮ついた人々の行動と思われるが、多くの日本人は、今回の御代代わり、昨日までの平成天皇に静かに感謝し、又今日からの令和天皇に対し、平成天皇同様の平和な時代を願っている。
鎌倉時代以降、日本が武家の支配する国になってから、天皇は政治の表舞台に出ることもなく、社会制度の中での別格の位置にあったが、江戸末期、日本が外国の脅威に晒されるようになり、徳川将軍家の権威が低下するのと反比例に天皇の権威が上がり、明治になって天皇親政ではないが、天皇は日本国に於ける最高の権威に奉られるようになった。明治150年、そのほぼ中間点の敗戦までの70年間、天皇をうまく利用しようとする軍部や機関も出てきて、神格化も極まったが、人間天皇、敗戦によって昭和天皇人間宣言をし、以降の70数年、平成、令和もその延長線上にある。
日本の象徴たる天皇。国民を愛し、国民から愛される。それが本来の天皇の姿であり、希望であると思うが、政治的に天皇を利用しようとする勢力も出てくるかも知れない。マスコミの過熱報道もそうした勢力に加担しないとも限らない。だから自分は今日の午後は天皇番組ではなく、5chの「相棒」をずっと見ていた。以前の再放送だが、楽しかった。

昨日は平成最後の夜を娘家族と銚子丸へ行き、お寿司を食べる。孫がまだ4歳と1歳半、食欲は大人の半分以下だが、それでも大人4人、孫二人で17,000円もかかった。これから孫が小学生になり、大人並みの食事量になってくれば、軽く2万円は超えるだろう。今からそんな将来のことを心配しても始まらない。大体、自分がそれまで生きているかどうかも分からない。
夜、春日部から小金井に戻る。雨は止まない。


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