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日々の連続

四国霊場・徳島編(16)第十七番立江寺。

今日2か所目のお寺は小松島にある第十七番立江寺
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ここの本堂は昭和時代に火災で燃え落ちたが、再建された際に、芸大教授等によって描かれた格天井が見事とのことである。
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大師堂の横には黒髪堂がある。
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多宝塔は見事だ。
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徳島の南、小松島にある四国霊場第十七番立江寺。今日最初に回った井戸寺同様、歴史の古いお寺で、境内も広い。四国の総関所、と呼ばれているが、その理由も意味も良く分からない。四国の真言宗大本山と言ったような意味で、総関所、と呼ばれているのか・・。今は海から大分離れた陸地にあるが、寺の名前「立江」からして以前は海に近かったのだろう。ここへ来る前に、掘割のような川を渡るが、水の流れはなく、汽水のような感じで、淀んでいた。今ある陸地は海が退潮したか、埋め立てによって、遠くに押しやられたに違いない。

ここも又御本尊は地蔵菩薩で、それは聖武天皇の勅願により行基菩薩が光明皇后の安産を祈って彫られたもので、「延命地蔵菩薩」と呼ばれている。その本尊は1寸8分(5.5cm)の小さなもので、後年弘法大師が訪れた際、この本尊の盗難を心配し、等身大の地蔵菩薩を刻み、その御本尊を胎内仏として納めた、とのことである。そうした謂れから、この寺は安産を願う信徒の帰依が多く、子安の地蔵、立江の地蔵として親しまれているとのことである。

昭和になって本堂が失火で燃え落ちたが、その後、再建され、その時に東京芸大の先生方40数名が天井画を描き、賽銭箱の横の格子から薄暗い格天井を見ることができた。何分忙しい参拝で、ゆっくり天井画を見る時間も無く、心残りではあったが・・。

それから又恐ろしい言い伝えも残っていて、大師堂の横に黒髪堂という小さな御堂があって、中に黒髪が収められている。この髪は江戸時代不義をして夫を殺した女がこの寺に参詣した際、嘗て犯した夫殺しを地蔵に告白し、許しを願った時に、髪の毛が鐘の緒に絡めとられ、皮膚ごとはがされて重傷を負ったとのことである。御堂の中の髪はその時の髪の毛とのことである。中が暗く、殆ど見ることは出来なかったが・・。

山門の横には昔からある和菓子があって、傾いたような商家造りの店先で、遍路客へ豆大福とかこし餡の饅頭、等々、昔からの手作りお菓子を売っている。添乗員の森さんの案内で、皆さんその店へ押し掛けたが、数が少なく、直ぐにも売り切れたとのこと。いつの頃からやっているのか効かなかったが、店の造りを見ると相当古く、戦前も戦前、大正時代辺りから、やられているのだろう。歩き疲れたお遍路さんには、甘い大福は良い栄養剤になったことだろう。



ここには200人程を収容できる宿坊もある。
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立江寺の由来。
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山門も立派だ。
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この先の古い建物の大福屋さんが昔から有名とのことだ。
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