ちゃおチャオブログ

日々の連続

江南周遊(40)運河沿いの散歩。

庭園の門を入ると目の前に大きな運河が流れている。

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いずれこの運河、太湖や大運河に繋がっているのだろう。

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比較的新しい案内板が出ている。

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庭園の名前が簡体字で書いてあって、自分には読めずにこの園の名前は分からないが、園の中央部へは、運河に沿った遊歩道を歩いて行く。この遊歩道も最近になって作られたようで、道路標識、案内板なども新しい。運河は広々としていて、大きな川のように見えるが、川のような流れはない。この辺り、太湖の周辺は広い平坦地になっていて、土地の高低差はほとんどなく、水の流れも穏やかだ。

 

昨日遊覧した千灯の運河なども全く同じで、川のような水の流れは感じられなかった。

運河沿いの遊歩道を200m程歩くと、園の中心に至る。江南地方は冬でも暖かい。歩道には梅の木が植えられているが、その梅の花ももう既に咲いている。日本の国民花は桜だが、中国の国民花は梅だ。中国では桜を見ることはほとんどないが、梅の花はあちこちで見られる。台湾人は元々は中国人と同じ民族だが、その台湾でも梅の花が尊ばれている。

 

昔の日本、平安時代以前の日本も又桜より梅が好まれた。菅原道真の「東風吹かば」にあるように。日本で桜が梅よりも好まれるようになったのは、漸く、平安末期、西行法師辺りからで、南北朝、吉野の桜で定着した。今の日本では7:3、8:2位の割合で桜派の方が多いだろう。

 

この庭園が嘗て誰のものだったかは知らない。元々園の名前が読めないのだから、推測しようもない。明、清代の北京の有力政治家や大商人は成功して財を成し、余生を江南の地で過ごすことを夢見ていた。現実に多くの資産家が無錫、蘇州、杭州、寧波等々に贅沢な別荘、邸宅を構え、その遺産は現代に残されている。尤も、紅衛兵時代、どこも荒れ放題だったようだが・・。今は又再び従前の贅沢な別邸に再築されている。さて、これから拝見するとしよう。

 

庭園中央部に向かって歩いて行く。

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ああ、梅の花が咲いている。

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入り口から200m程運河沿いを歩いて来た場所に上等な邸宅が建っている。

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