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日々の連続

愛媛(伊予一国)ドライブ巡礼(17)第四十一番霊場龍光寺。

今日最初の霊場、第41番龍光寺に向かう。

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この石段の更に奥に稲荷神社がある。

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ここは江戸時代まで、三間のお稲荷さんと呼ばれていた。

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龍光寺本堂。ご本尊は十一面観音。

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大師堂。

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今日最初の霊場愛媛県伊予国)で2番目のお寺、八十八ケ寺中では第四十一番に当たる龍光寺。この寺は昨日松山空港から愛南町に向かう途中、最初に休憩した三間道の駅と同じ集落にあり、昨日食べた美味しいお米の里、三間米の地の、山の端にある。三間も以前は独立の町村だったが、いつの頃か宇和島に吸収合併され、市街地からは一山超えた田園地帯、車では30-40分の場所にある長閑な田園地帯だ。盆地の真ん中の殆どが稲作の田んぼになっていて、住宅は盆地の周囲を囲む里山の山裾に広がっている。龍光寺はそんな里山の一つ、稲荷山の麓に鎮座している。

 

カーナビに従って、狭い農道のような道路を走らせていくが、この辺の田舎の集落、カーナビが正確に反映していないのか、同じような場所をくるくる何回も往復し、漸く開いていた商店の人に聞いて行きつけた。周囲は小高い山に囲まれていて、門前町とも言えないような古くて狭い道幅の突き当りにその寺はあった。昔の遍路道のような細い道路を進んで行くが、今は便利なものだ。昔の人はこの遍路道をてくてく歩いてやって来たのだが、今は車でひとっ走り。長い参道の入り口には石の鳥居があって、ここも又神仏習合の名残を残している。

 

明治になって神仏が分離される以前の約1000年、本地垂迹の考えの元に、神も仏も一緒の場所で一緒に祀られ、神も仏も仲良しだった。これまでに徳島、高知の約40ケ寺の霊場を巡礼したが、多くの寺でそうした神仏習合の名残を残している。石の鳥居をくぐって山に向かって歩いて行くと、前方に石段が見え、その台地上にお寺の屋根が見える。この寺も明治以前はお稲荷さんを祀る神社と仏教寺が仲良く並んでお参りされていて、三間の御稲荷さん、と親しまれていた。石段を登った正面に更に長い石段が山の奥に続いているが、そこが稲荷社であり、龍光寺本堂はこの石段の左側、この石段を真ん中にして右側に大師堂があった。八十八ケ寺とは言え、コロナ禍の中、参詣する人も少なく、思い切り大きな声で心経、真言を唱えることができた。

 

本堂の並びに大師堂が見える。

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左が本堂、正面奥が稲荷社。

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大師堂。

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山に囲まれた静かなお寺だった。

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本堂の境内から参道を眺める。奥に広がる三間盆地。

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