ちゃおチャオブログ

日々の連続

愛媛(伊予一国)ドライブ巡礼(33)四国霊場第四十四番札所大寶寺に参拝。

林道を登りつめた最後に、長い石段が待っていた。上に本堂が見える。

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石段の横には、この寺のご本尊十一面観音の像が立っている。

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大寶寺本堂。何回か焼失し、この本堂は戦前になって再築された。

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ほぼ100年前の建立の本堂だ。

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本堂に並んで大師堂も建っている。右手に鍾堂もある。

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久万高原の山中には2か寺の札所がある。それは今到着したばかりの四十四番札所の大寶寺と次の岩屋寺である。この2ケ寺は午前中の早い時間に済ませ、午後はゆっくり松山市内の各寺を参拝する予定でいたが、ナビの設定ミスにより、ぐるっと大回りして、予定の時間の3倍以上かかってしまった。大寶寺山門の長い石段の前に来た時は、既に10時半になっていた。見ると、この石段の横には参詣者用の駐車場もあり、林道を歩くことも無く、車でここまで来れたのだ。集落の途切れた辺り、林道が始まる手前にあった大宝寺駐車場の大看板、あれは何だったのか・・。林道の道幅が狭く、大型バス用の駐車場だったのかも知れない。

ここは菅生山、人里離れた檜の密生する山中にあり、如何にも霊験あらたかだ。最後の長い石段を上がった正面に本堂がある。ご本尊は百済から招来されたと言われる十一面観音菩薩。八十八ケ寺中、数えたことはないが、十一面観音を本尊とするお寺は多い。多分一番多いのではないか。こんな山深い山中のお寺、如何なる事情で天皇家と結びついたのかは知らないが、文武天皇詔勅によって寺が建立され、後白河天皇は妹宮を下向させ、勅願寺とした、との寺伝も残る。確かにここは全八十八ケ寺中の四十四番目のお寺で、丁度真ん中。「中札所」ともいわれている。

稀代の梟雄長曾我部元親は四国各地の寺社を破却し、焼失させたが、この寺もその例に漏れず、兵火により焼け落ちたが、江戸時代になって松山藩主の帰依を受け、その菩提寺ともなった。この山深い寺に参詣にやってくるのも大変なことだったと思うが、古くは持統天皇の吉野詣で、後白河上皇の十数回にも及ぶ熊野詣で等々と比較したら、同じ藩内の事、それ程でもなかったのか・・。

今朝は三日ぶりに朝食を沢山食べた。一昨日は4時起きで、羽田空港で、サンドイッチだったか天むすび。昨日は宇和島駅でのコンビニサンド。今朝はホテルでのバイキングでしっかり食べた。食べ過ぎたきらいもあり、お腹が異常気味。本堂、大師堂のお参りもそこそこに、石段下のトイレに急いだ。今朝の朝食もそうだが、昨夜の飲み放題の影響もあったのだろう。不具合の一歩手前だったが、お陰ですっきりした。もう一度改めてお参りしようと、長い石段の前まで来たが、上を仰ぎ、諦めた。又あの長い林道をとぼとぼ下って行かなくてはならいかと思うと、石段を再度登る元気も萎えてきた。本当なら、このお寺には、いろいろと見ておきたい遺跡も幾つかある。芭蕉塚や山頭火の句碑、掘り出し観音、等々。でもやめておこう。次のお寺に急がなくてはならないし、そのお寺岩屋寺が又大変な参道だ。疲労を残さず、身体も労わっておこう。

 

  • 弘法大師堂。

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  • 大師堂前から見る本堂は木陰になっている。

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  • 本堂、大師堂が並んで建っている。

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  • この寺は深い木立の中にあった。

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  • 大寶寺を後にする。

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