ちゃおチャオブログ

日々の連続

長野上山田1泊温泉旅行(4)姥捨て棚田へ。

ホテルリバーサイドのロビーには羽田孜の書が掛かっていた。羽田孜と言っても、今は知る人も少なくなっている。

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その隣にはこれから向かう姥捨ての棚田の写真が掛かっていた。

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ホテルからは20-30分の場所にある姥捨て駅。棚田はこのホームの下だ。

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いやー、昨夜は飲み過ぎてしまった。寝る前にもう一度温泉に入ろうと考えていたが、時間切れオーバーになってしまった。今朝朝食前にもう一度入る積りでいたが、飲み過ぎてしまって、寝過ぎてしまった。夜中に一度目が覚めたのだが、早すぎる時間で、又寝てしまい、朝はボヘさんからの電話で起こされた。「朝食の時間が間もなく終わるよ」と。あわてて起きて、急いで食堂へ行き、最後の一人になって朝食を食べる。配膳掛かりに聞いたら9時半まで温泉に入れるとのこと。急いで朝食を済ませ、温泉に行き、一風呂浴びる。漸く酔いも半分抜けて、さて、今日の観光に出かけることにする。雨も小糠、昼までには上がるだろう。

向ったのは姥捨て駅。写真家のボヘさんがこの場所へ行って、雨に煙る棚田の写真を撮りたいとのこと。我々3人も異存はない。日本の棚田。瑞穂の米の国。日本の風景の中で各地にこのような場所が保存されているのは嬉しい。去年能登をドライブした時、輪島の郊外に千枚田があったが、日本海に面した斜面を耕し、段々畑の稲田に作り上げた先人の労苦、汗の結晶。今日はその棚田を見に、姥捨てに向かった。

姥捨て。歳取り、働けなくなった老人を口減らしの為に人里離れた山奥に捨て、置きぼりにする。老人はそこで迫りくる死を待っている。貧しい時代の日本にあって、残された家族、死にゆく本人の両方にとって、やむを得ない選択だった。随分以前に深沢七郎の「楢山節考」を読み、その哀れさに心を打たれたが、その舞台となる所は、この辺りの山だったのか・・。現代の親殺し、子殺しは毎月のように各地で発生しているが、姥捨て山という地名はここでしか聞いていない。確かあの小説では、親を置き去りにした息子が、その非道を悔いて、再び山に戻って老母を助け出したのだ。この山の名前も、貧しさ象徴する為であって、実際にはそんなことは無かった。日本人のやることではなかった。しかし今の日本人は変貌してしまった。

姨捨駅は小高い山の中腹にあって、今も篠ノ井線の駅舎として、この辺りでは珍しく有人駅となっている。そうこの駅は豪華客車四季島の停車駅になっているのだ。客車に乗って東日本をぐるりと半周する、1回の乗車で10万円以上だろう。リッチな旅行だ。この駅では四季島のお客さん用に、休憩ラウンジも作られていて、ずっと乗りっぱなしのお客さんに、客車から降りて、駅のホームから見える棚田を眺めてもらい、ラウンジでのコーヒータイム。足を延ばしてもらうのだ。

ホームから見える棚田とその先の千曲川。川が平野を作ったのか、そこに平野があったから川が流れ込んだのか。日本の里山の風景が広がっていた。ここは国の重要文化的景観に指定されている。今は刈り入れも終わり、段々畑だけが積み重なっているが、初秋、刈り入れ前の畑には、黄金の稲穂が波打ち、ライトアップもされるという。静岡で見る段々畑のお茶畑、各地に残された棚田百景。山国日本やフィリピン、バリ島でしか見られない山の水田だ。「名月や田毎の月の五六十」(正岡子規)。

ここには江戸時代以来、芭蕉や蕪村、その他多くの文人墨客がやってきた。田植え前の水田に水が張られ、満月の夜、田毎に映る無数の月を想像していたら、甲府行きの電車がスイッチバックで入ってきた。急にまた現代に引き戻された。「満月や田毎に揺れて朧げに」。

 

跨線橋を渡って反対側のホームへ行く。

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ホームの下に広がる棚田。奥に千曲川も見える。

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折から甲府行きの電車が入線してきた。

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