ちゃおチャオブログ

日々の連続

12年ぶりの石垣島(16)先島の島々。

  • 高速フェリーは5-6分で石垣港を出てゆく。海保埠頭もどんどん遠ざかって行く。

    f:id:commodore:20210322185844j:plain港を出ると間も無く、竹富八島の一つ、黒島が前方に見えてきた。

    f:id:commodore:20210322185923j:plain平べったい島に見えたが、近づくと、案外隆起している。

    f:id:commodore:20210322190002j:plain前方の島は小浜島か・・

    f:id:commodore:20210322190058j:plain海上に雲が掛かっている。

    f:id:commodore:20210322190139j:plain薄っすらと西表島も見えてきた。

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石垣島周辺には10幾つかの島が点在している。その内、与那国島を除いては、全てが竹富町の行政区域に含まれる。竹富町町役場は昨日通りすがりに見たように、竹富島にあるのではなく、石垣市の中にある。数えてみると全部で8つある島の中で、一番大きく、人口の多いのは西表島で、全体の6割以上を占めている。即ち竹富島全部の人口は4000人足らずのものだが、この西表だけで、2400人が住んでいる。島の面積は沖縄本島に次いで大きく、隣の石垣島よりも大きな島だ。然るに、八重山諸島の中で、石垣が先に開け、人も増え、琉球政庁の出先が置かれ、島が大きい割には、人口もそれ程増えていない理由は、この島の地形に問題があったからに他ならないだろう。即ち平地が少なく、山間部が多くを占めていて、農耕には適さなかった。漁業だけでは生計、生命、集落を維持するには不十分だったのだ。

高速フェリー船は、石垣港口にある海保石垣支部の係留地をほんの5-6分で通り過ぎ、湾外に出る。前方に幾つかの島影が見える。水平線すれすれの陸地の陰で、いつ大波を被って洗い流されてしまうのか、心もとない島影だ。左に見える竹富島など、全く平板な島で、起伏は全く見られない。大きな台船が海の上に浮かんでいるような景色だ。10年前の東北大津波のような10mを越えるような津波に襲われたら、一たまりもない。しかし何故かこれ等の小島が津波に襲われて、甚大な被害を受けたという歴史的事件はなかった。この辺りの海域では有史以来津波は発生していない。だから人々は、防波堤も作らず、海面からの高さも10mもないような島でも、安心して生活しているのだろう。

港を出て凡そ30分、丁度西表との中間辺りの海上に出ると、潮の流れが変わったのか、波頭も見えるようになり、飛沫が窓ガラスに掛かって、視界が妨げられるようになる。しかしそれは外洋の大きなうねりと違って、船は上下にピッチングするでもなく、快適に波頭を切って進む。双胴船のような形の船体が揺れを防いでいるのかも知れない。周辺には殆ど船影は見えない。漁船もいないし、釣り船もいないし、ましてや大型貨物船なども動いていない。ピッチの早いエンジン音だけが静かに響いているだけだ。

窓の前方の大きな島がどんどん近づいてくる。大きなテンガロンハットが海上に浮かんでいるように、島の中央部がぽっこり盛り上がっている。中央山嶺と言ったような島の眺めだ。その峰を隠すように雨雲が掛かっている。矢張り、海上に浮かぶ高い山の周辺には雨雲が集まってくるのか・・。以前屋久島の宮之浦岳に登った時、この山に集まって来る連日の雨には往生した。1日3回雨が降ると言われる屋久島、この一番南の100名山に登るのに、3日間も足止めを食ってしまった。この西表は屋久島程は酷くはないと思うが、矢張り多雨には違いない。島影と雨雲を眺めている内、フェリーは大きく左に旋回し、所謂取り舵いっぱいで、西表島大原港埠頭に向かって、徐々に船速を落としていった。

 

飛沫で窓ガラスも曇ってしまう。

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西表島が近づいてきた。街並みも見える。

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  • 再び又雨雲に島が隠れる。

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    又、すっぽりと雲の下だ。

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