ちゃおチャオブログ

日々の連続

石垣再訪(35)「シード―線」から「鰓呼吸」へ。島での最後の飲食。

「鰓呼吸」での島最後の飲み会。特注の泡盛が置いてあった。

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人気の店で、ほぼ満員。席まで少し待たされた。

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「シード―線」乃至「シード線」。マップ等にはカタカナで書かれているが、れっきとした県道だ。道幅も広く、市内から真っすぐ新石垣空港へ抜けられるので、別名、「空港線」とも呼ばれている。この道路の先、空港近くには県の合同庁舎とか、今回のコロナ禍で時々テレビ映像に映し出される県立八重山病院新館なども移転している。石垣は小さな市ではあるが、その市のバイパスのような位置づけだ。ただ開発制限、建築制限がされているのか、この道路を境に市域と市外がくっきりと隔てられている。それは丁度昔の竹富島がそうであって今にも引き継がれている「スンマシャー」の伝統が、この大きな市にも適用されているがごとくである。中国の都市は城壁で囲まれ、城壁の内側は人が住む所、外側は「化外」の生活圏と分けられているが、この中国に最も近い島々では、そうした二分類の影響も受けているのか。このシード―線を挟んで、人の住む場所とそれ以外の土地、が見事に二分されている。

 

処でこの「シード―線」。今の若い人は沖縄に限らず、全国に標準語が普及していて、地方出身者は方言を話すより、標準語を話す方が得意になっているが、石垣の若い人で、果たして何人がこの「シード―」の意味を知っているだろうか・・。「シード―」とは「水道」のことである。沖縄県民は一般的に「シ」と「ス」音の発声区別が苦手のようで、「スイドウ」と言うべき処、「シード―」と訛って言って、それがそのままこの道路名になった。この道路の建設経緯は自分には分からないが、この広域産業道路のようなバイパスを作るに当たって、水道管の敷設作業が同時に行われたのではないかと思う。それは米軍施政下の頃か、復帰後のことかは自分には分からないが、そもそもの「水道道路」が親しみをこめて「シード―線」に定着したのではないかと思っている。石垣に来ていろいろな発見がある。

 

シード―線との交差点、長間橋から少し空港寄りに進んだ先に県立病院旧棟があり、その前の細い道を市内に向かって歩いて行く。緩い下りだ。バンナ公園からずっと緩い傾斜で下ってきている。皆とのフェリーターミナルまでこの町は海に向かってなだらかに下っているのだ。宮良殿内の小さな森を過ぎ、ユーグレナモールの前を通り抜け、Inaさんとの待ち合わせ場所、「鰓呼吸」の前に着く。この「鰓」も又見慣れない、難しい感じだ。魚屋さんなら直ぐに読めるだろうが、一般の人は分からないだろう。自分は2月に一度この店の前を通っているので、読み方は分かっているが・・。さあ、Inaさんとの待ち合わせ、島での最後の飲み会となる。

 

魚料理が主体だが、いろいろとバラエティーだ。

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刺身も十分美味しかった。

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