ちゃおチャオブログ

日々の連続

高幡不動尊参拝(4)丈六佛の不動尊に参拝し、下山する。

本堂(大日堂)の横には、天井画、「鳴き龍」拝観の入り口、大玄関がある。

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不動堂の横には大きな萱の木が立っている。

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内陣の奥には、厳めしい形相の不動明王像が安置されていた。その左右に二人の童子が侍していた。

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コロナ禍で全体的に参詣者の少ない静かな境内。本堂(大日堂)には高齢の夫婦連れ二人が、熱心にお参りしている。先刻中年女性が山内八十八ケ所の石仏をお参りしていたが、その熱心さ、真剣さは彼女に劣らない。人それぞれ、何を祈っているのか、詮索しても始らないが、ここにはそうした切実な願いを受け止める静寂さがあった。

 

大日堂は境内の一番奥にあって、全体の総本堂の位置づけだが、ここの天井には鳴き龍の絵が描かれていて、横の入り口、大玄関から入ることができる。但し入場料200円を払わなければならないが・・。この本堂の境内の隅には、真言の種字、大日如来を表す「??」(バン)が梵字で書かれた石塔が立っていたが、誰か寺僧でも通らないかと心待ちしていたが、誰も通りかかる僧もなく、真言の話を聞くことも出来なかった。大玄関入口の襖絵に平山郁夫風の絵が描かれていたが、雨の心配もあり、中には入らずに、そのまま丈六仏、不動明王像に向かった。

 

仏教徒ではないクリスチャンとか、無宗教者には丈六仏と言っても理解できないだろうが、これは仏像のサイズが1丈6尺のことであり、昔の尺貫法で言う処の1尺は約30cm、10尺が1丈だから、大きさは4.8mになる。この寺の名前、高幡不動尊の名前の由来ともなる不動明王で、不動堂入り口から内陣の奥を見ると、確かに大きな仏像が怖い顔立ちで鎮座していた。平安時代の製作で、重要文化財の指定を受けている。

 

不動堂入り口には樹齢数百年の大きな萱の木が立っていて、この丈六仏は萱の木で彫られているようだが、それを記念しての植林かも知れない。拝殿の前の説明書きには、古来この不動尊は日本一大きな仏像と言われていたようだ。不動明王の脇侍は制多迦(せいたか)童子と矜羯羅(こんがら)童子であるが、二つの童子を久しぶりに見た。不動明王が従える八童子の中の二人である。伝承では、役行者は前鬼、後鬼の二人の手下を従えていたと言われているが、自分にはこの制多迦と矜羯羅の二人の童子が神仏垂迹で、役行者の従者に変わったのだと思えた。

 

不動尊大日如来大日如来真言密教の中での最高神で、不動尊はその神々を守る明王だ。「オンアビラウンケン バザラダトバン」、「ノウマクサンマンダ バザラダンセンダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタカンマン」。大日如来不動明王、それぞれの真言を心で唱え、駐車場に向かった。五重塔を見てアジサイ山に登り、多摩の街並みを眺め、丈六の不動尊にお参りし、真言種字の「??」(バン)を見て、最後に真言を唱える。実に良い2時間の古刹参詣ができた。

 

重文の不動明王と両童子像。古来日本一の不動明王と言われている。

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室町時代末期、分倍河原の戦いで敗れた関東官僚、上杉憲顕が落ち延びてきて、この寺で自刃した。

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納経所の前の水盤にハスが綺麗に咲いていた。

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