ちゃおチャオブログ

日々の連続

7.24(土・晴れ)国、地域、国旗を担う若者たち。

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平和の祭典、東京五輪が昨日開催された。コロナ下での開催、よくぞここまで出来た、と、先ずは関係者の労をねぎらいたい。しかし無観客での開催は観衆のどよめきもなく、映像だけがそれらしく流されただけだった。後で振り返れば、史上まれに見る陳腐な開催式だったと指摘されるだろう。しかし関係者にしてみれば、コロナ禍だったからとの言い訳は十分に立つ。

ここまでの経緯を振り返れば、新国立競技場の設計問題、五輪デザイン盗用問題、直前の会計責任者の自殺、ショープロデューサーの虐め人権問題、ユダヤホロコースト問題等々、これでもかあれでもかの問題続出で、56年ぶりに東京で開催されるという半ば国家事業に近い形のものが、当初の安部―森ラインに見るような、安部の個人的なお遊びの延長線にあるような森の起用で進めてきた結果の付けとも言える。若者の祭典に、遥か以前に一線の総理を退いたロートル森などを組織委の委員長に据えたこと自体が問題発生の発端だった。ボタンの掛け違い、筋違いは最後まで尾を引いた。

 

それでも無観客の中で、205国家、地域から集まった数千人の選手たちは、それぞれの国、地域の大旗を誇らしげに振りかざし、はためかせ、堂々の行進を行った。一人参加の国もあれば地域もあった。だが、国旗の元に堂々の行進は、これを見ている国人を強く感動させたことだろう。国の象徴は国旗に帰結した。

今日の開催式は、この参加国の若者の行進の映像を世界に配信するだけで十分だった。後のままごと遊びのような演出は全く必要なかった。余分な空費の時間で、見るものを飽きさせるだけのものだった。聖火点火式には池江さんが出てくるかと期待していたが、大坂なおみだった。彼女が悪いということではないが、彼女は既に女子テニス界のトッププロ。改めて彼女が日本を代表することもなかっただろう。それよりも、より世界の人々にアピールさせる為には不治の病と言われた悪性リンパ腫から見事立ち直り、再び世界の舞台、五輪の場に出場できるほどまでに努力し、自己改革をした彼女の姿を世界の人々に見せることにより、同じような病魔に苦しむ世界の多くの人々、家族、関係者を勇気づけ、力を与え、明日に向かっての希望を与えることだった。

それと今上陛下の臨席。ただ一言の開会宣言の為だけに臨席を仰いだと知れば、大変な失礼だ。陛下を小間使いのように扱ってはならない。政府も、ただこの宣言だけにIOCが呼ぶとすれば、反対すべきだった。ドイツからはメルケルも誰も要人が来ない中で、ドイツ人のバッハが一人ドイツチームの行進時には両手を振って、大きくウエーブしていたが、IOC会長とは言え、所詮はこの程度の人間だ。陛下はもっと高い場所に存在すべき高貴な存在だ。

安部ー森ラインで進められた今回の招致、開催。開催が決まった後の国家行事としての総合プロデューサーの任命も無く、てんでんばらばらの芸能人上がりの、ちょっとTV界で売れたような人間の寄せ集め、彼等の仲間内での起用と、方向付け。日本と言う、一流であった筈の国家が、いつの間にかこんな低劣な国家に成り下がったのか。政治が悪いからこうなった、という人もいるだろう。魚は頭から腐っていく、とも言われている。今回の五輪を戒めとして、日本人はよくよく国家を考えて行かなければならない。205国地域から集まった国旗の行進をみていて、若者こそが国を創る土台。強くそう思った。

 

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