ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(10)高野山奥の院参道にて。

  • これから奥の院に向かって歩いて行く。左手奥に旧来の本参道がある。

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本参道へ行くのも面倒で、新参道を歩いて向かう。

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ここにもあった「共助」。シニアサポートセンターの墓だ。

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  • この新参道の奥が本院で本参道に繋がる。

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高野山ケーブルカーも市内循環バスも4-5人の乗客しか乗ってなく、矢張りコロナ禍での緊急自粛要請、夏休みとはいえ県境をまたいでの旅行者、観光客はごく少なかったが、この奥の院入り口にあったレストランは座席待ちする位に混んでいて意外だった。今自分は免許証を返納し、レンタカーを借りられずに電車、バスでここまでやって来たが、このレストランで座席待ちするお客の自分以外は全て車でやってきたようだ。コロナ禍とは言え、車があればどこへでも自由に出掛けられる。3密を回避すれば感染危険もそれ程ない。そうした考えの人が矢張りこの世界遺産高野山奥の院へやってきているのだ。

以前来た時も既にあったのか、或いはその時は気が付かなかったのかはた又新たに出来たのか、本来の杉並木の参道の横に並行して車でも入れる参道が奥の院近くまで出来ている。入口から奥の院までは凡そ800mの距離、足の悪い人に取っては、奥の院近くまで車で行けるのは有難い。本来の参道に戻って参詣道を歩くのも面倒と言うか、足も疲れていて、そのままこの新参道を歩き奥の院に向かった。そのせいかどうか、以前来た時よりも感激は随分と薄れたものになった。歳のせいかも知れないし、空海に対する憧憬の念も薄れたものになったのかも知れないのだが・・。

First Inspiration. 恋人或いは伴侶を求める、そうした時に人は何等かのインスピレーション、啓示を受けるかもしれない。自分は過去3か所、その様な心の震え、精神の緊迫を覚えたことがある。順番はどちらが先かは忘れてしまったが、この奥の院参道へ一歩足を踏み入れた時であり、広島平和ドームに参拝した後に入った原爆記念館であり、江田島の旧海軍司令部・兵学校跡だった。ただその後原爆平和記念館へもう一度行った時は、最初の時ほどの強いインパクトはなかったが、ここ奥の院も矢張り2回目と言う感動の薄れがあるのか・・。

以前ほどの感動、震えがなくとも、聖地であることには違いない。奥に進むにつれ、それは高まってくる。去年と一昨年、2年がかりで巡拝した四国八十八ケ所、その集大成が今日のここ奥の院にあるのだ。去年一昨年、各霊場を巡るごとに親族の死、周りの人の死、上司先輩後輩同輩の死を弔ってきた。この旅行の直前、山の仲間上田氏の訃報も聞いた。自分と同じ同年の75歳。又、1週間前には隣の鈴木さんも黄泉に旅だった。91歳、舞台から消え入るように去っていった。すさぶる荒魂、鎮魂葬礼、弔ってやらなければ・・。

 

  • こちらには比較的時代の新しいお墓が並んでいる。

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    新参道から本参道に入ると、長い歴史を感ずるお墓が多くなってくる。

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  • 戦国武将の墓が目立つが、軍の連隊の墓もある。ここは陸士、陸軍の墓だ。

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    参道の途中には芭蕉の句碑もある。芭蕉が吉野からここ奥の院へやってきて詠んだ句「ちちははのしきりに恋し雉の声」。

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