ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(30)JR和歌山線で橋本から和歌山へ。

JR和歌山線、和歌山行のモダンな電車がやってきた。

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運転手一人のワンマンカーであるが、ドアの横にはスイカのカードリーダーが置いてある。

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田園の向こうに高野山の山並みが見える。

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橋本を出て二つ目に高野山口の無人駅があった。

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橋本から和歌山までは約30分ほどの電車の旅である。30年前に和歌山駅から橋本まで乗った電車は定かな記憶はないが、古い車両だったと思う。今乗っている電車はモダンで、東京近郊のJR、私鉄よりもモダンな感じがする。車両全体が軽量化が図られ、スピードも出そうだ。何年か前福知山線でスピード出し過ぎた電車が脱線し、100名以上の死者を出した大事故があったが、その電車も今乗っているこれと同じように、快速車両だった。橋本から和歌山までは20近くの駅があるが、大半は無人駅で、2両車両の前の車両には、バスに乗る時にパスモ、スイカカードをピっとかざすカードリーダーが備えられていて、乗客は手持ちのカードをピっとかざして乗り降りしている。自分もJRのスイカカードを持っていて、高野山でのバスやケーブル、南海からJRへの乗り換え、等々、カード1枚で随分と助かった。しかし運賃が瞬時に清算されるので、その区間の料金が幾らだったのか、後で確かめようがない。まあJRだからそれ程ビックリする料金ではないのだが・・。

 

紀の国を流れる川、紀ノ川。昭和の女流作家有吉佐和子は和歌山のこの辺りの出身で、「紀ノ川」が代表作になった。以前読んだとは思うが、中身はさっぱり覚えていない。余り刺激的でない内容だったかと思う。この国が紀州紀伊国と呼ばれるようになった経緯は良くは知らないが、平安時代歌人紀貫之に代表されるような、紀氏がこの辺りの土地を支配していて、その関係でこの川の名称、国の名称になったのではないかと思われる。紀ノ川は吉野の大台ケ原を源流として、そちら方面では吉野川と呼ばれたりしているが、ここ紀州に入っては堂々とした大河で、右岸の葛城山系と左岸の高野山系の両山脈に挟まれた窪地を緩やかに流れている。この窪地は四国から始まる中央構造線の一部を成している。京畿から山を越えてやってきた人々は、この大河を見て、漸く紀州に着いた、これからは温暖な土地になる、との実感をしたのだろう。

橋本も和歌山もどこか人の苗字にもあるような、奈良平安時代から続く古めかしさを感じさせないが、和歌浦平安時代歌人山部赤人がその景勝を歌にしているように、昔からの地名である。市内に小高い丘があり、今はそこに和歌山城が築城されているが、それをもって和歌山と呼ばれたのではないか。橋本に関しては、戦国末期に高野山の高僧の一人が、この紀ノ川に橋を架け、その後、この辺りは橋本と呼ばれるようになったとのこと。橋本駅を出て2つ目に無人駅の高野山口があったが、昔の人々はここから川を渡り、高野山詣でに入って行ったのだろう。川の段丘上には丁度、学文路、九度山辺りの人家が見えていた。

 

和歌山市に近づくに連れ人家も増えてきて、乗客の乗り降りも多くなり、少し大きめの有人駅が岩出市だ。余り聞きなれない市名だが、ここには真義真言宗を開いた興教大師、覚鑁聖人の大本山根来寺があり、今次旅行ではここも寄ってみたい場所の一つであるが、それは又後の楽しみに取っておこう。この岩出を過ぎると電車は紀ノ川を渡り、郊外の幾つかの駅に停車し、和歌山駅に到着した。ここからは特急で南紀白浜に向かうが、乗り換えもスムーズで、ホームで暫く待っていると、特急黒潮号が滑り込んできた。

 

電車は紀ノ川の右岸に沿って和歌山に向かう。

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川の途中には取水堰のようなものはあるが、ダムはない。

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11時前、和歌山駅に到着した。

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ホームで南紀白浜行の特急を待つ人々。

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