ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(59)新宮駅前の徐福公園。

新宮は隣を流れる熊野川の舟運によって発展した。熊野の木材の集積地でもあった。

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新宮駅前は、殆ど何もない。

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駅前に何かの記念碑が建っている。

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これは昭和30年代に漸く勝浦―新宮の最後の区間が開通し、紀勢本線の全面開通を記念する碑だ。広場の向こうに観光案内センターがある。

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これも又後から聞いて知ったことだが、艦船に詳しい稲さんは鉄道にも詳しく、先刻京都から団体さんを連れてきた特別仕立ての黒い列車は、JR西日本の目玉列車の一つ、観光夜行用の専用車で「銀河」と呼ばれているそうだ。JR東で言えば、「四季島」のような豪華列車で、いずれにしても庶民には高根の花だろう。

 

30-40人程の団体さんが、地元観光協会の最大の歓迎を受けて、待ち構えていたリムジーンバスに乗って行ってしまうと、駅は又元の静かな田舎駅に戻った。構内にはコンビニ店もあるが、お客が入っているかどうかも分からない程に、閑散としている。駅前も同様で、都会地の郊外駅前にあるような飲食店、パチンコ屋、飲み屋、不動産屋などの看板は見当たらない。年々過疎が進み、最近のこのコロナ禍で今やポピュラーな言葉になった「人流」が先細り、駅前だからと言って、人の賑わいは全く感じられない。

 

ちょっとした広場の先には観光協会のビルがあり、その向かいに中国風の建物がある。徐福を記念する建物だ。秦の始皇帝が中国を統一し、歴史上最初の皇帝として君臨し、自ら始皇帝と名乗ったのだが、その始皇帝山東省泰山で封禅の儀を行ったのは紀元前219年の事。山東省は周囲を海に囲まれていて、北には雲台、南には青島という昔からの良港があるが、その泰山からは海は見えない。ただ海に近い場所だけあって、海の向こうのまだ見ぬ国の話も伝えられただろう。その一つに蓬莱国があり、そこは人間社会の楽天のような場所で、不老長寿の薬草もあると言う。行くのは大変だがその薬草を得られれば、不死が得られると。

 

酒池肉林、現世世界で何でも手に入れられた始皇帝に取って唯一コントロールできないものは自身の死であり、その薬草を得られれば、永遠に皇帝でいることができる。そこで、方士の徐福に命じ、その薬草を求めるべく蓬莱国へ遣わした。その時3000人の従者を与え、大船団を組んで海の彼方の蓬莱国へ行かせたのだ。その蓬莱国こそ今の日本のことで、3000人からの徐福船団は各個に枝分かれし、日本の各地に上陸し、今も尚九州、四国、京都、紀伊、山梨の富士等にその伝承が残っている。この紀伊の地、新宮にも徐福伝説が残っていて、今新宮駅前に綺麗な公園が出来ている。

 

熊野本宮行のバスの時間までにはまだ大分時間もあり、その公園に行って見る。しかしここも又コロナ禍で閉園中。柵の外から中を眺めるだけだった。伝説によれば、熊野川に上陸した徐福は、今のこの場所に居を構え、3年居住した後、更に北上し、漸くにして駿河の富士山、即ち蓬莱山に至ることができた、と言われている。徐福。弥生時代に先駆ける数百年前、原日本の国造りに各方面で影響を与えた人物かも知れない。公園が閉まっていたので、観光センターに寄って絵葉書を求め、その場で孫の二人にハガキを送った。

 

案内センターの前に中国風の建物がある。

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ああ、徐福公園だ。この町は有力な徐福伝説の町だ。

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残念、コロナ禍で公演は閉鎖されている。

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徐福はこの場所に3年間住んでいたとの伝承がある。

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