ちゃおチャオブログ

日々の連続

12.8(水・小雨)日米開戦80年。国会中継。尾身会長はどうしてますか?

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朝から小雨。10度以下で少しは寒い。昨日も今日も歩行は進まず。

日米開戦80年。10年前に死んだ兄は今生きていれば85歳。丁度この日は5歳だった。先月伊豆長岡の温泉病院へ見舞いに行った姉は丁度80歳。この海戦の歳に生まれたのだ。兄弟姉妹からは余り戦時中の話は聞いていない。忌まわしいことだから、積極的には話したがらないのかも知れない。

山本五十六は、最大戦っても2年が限度と言って、真珠湾に向かったが、その2年も経つ前に赤道直下、ブインのジャングルで撃墜された。軍部、大本営、国民はこの日の真珠湾奇襲攻撃で大戦果を挙げ、皆有頂天になっていた。照ノ富士が序二段に落ちる直前の大関時代、「行け行けそれ行け」の有頂天で、直ぐにも横綱になれると思っていたが、運命はその逆に、釣瓶落としに番付を下げて行った。この時の軍部も国民も「行け行けドンドン」で、負ける思いはどこにも無かった。

半年後のミッドウェーで大敗北を喫したが、まだ夢は覚めていなかった。その後は正に釣瓶落としの敗北続きで、起死回生は起こらなかった。300万の民を失い、それに倍する海外の民を殺した。無謀な戦争だった。

戦争はやむを得なかった、戦争は回避できなかった、戦争に追いやられた、等々、開戦を正当化する意見は多い。しかし、戦闘を開始したとしても、長期間争えないことは、時の軍部の誰しもが知っていた。にも拘らず、初期の先勝で、講和の道を探る努力もしていないし、そうした事を口にしたら、逆賊、非国民となった。

勝ち負けの力の差、物量の差を精神論に置き換え、大和魂で敵の戦車に立ち向かえと。竹やりでカービン銃に対抗せよと。その異常さに、国民の誰も気が付かず、少しは分かった人も口を閉ざしていた。1億総懺悔。戦争の開始も結果の敗戦も、1億総国民が決めて、突き進み、玉砕した。そういう国民だ。真珠湾から80年、敗戦から76経った今も、日本人の精神構造はそれ程変わっていない。

 

今日から国会代表質問。岸田総理、無難にこなす。お互い、大言壮語は言わない、大人しい性格で、バイデンとは案外ケミストリーが合っているかも知れない。メルケルも退任したし、G7の新たな衣替えが進むかも知れない。

 

こころの処、尾身会長が無しのつぶてだ。安倍総理時代には、会見に常に隣に立っていて、自らも発言していたが、菅総理になってからは出番が少なくなり、最近では全くテレビに顔を出していない。雲隠れしている訳ではないだろうから、少しはテレビに顔を出して、国民を安心させたらどうですか。

米国ファウチ長官はいろいろ叩かれてはいても、それにもめげず、相変わらずテレビに出てきて、盛んに発言している。今回のオミクロンに関しても、「それ程心配する必要は無い。風邪のような軽症が大半だと」。国民が不安になっている時は、好ましいデータを集め、国民を安心させることだ。日本の厚労省は相変わらず、オミクロン感染者の国籍も職業も明らかにしていない。情報隠しが最大の不安を国民に植え付ける。

 

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