ちゃおチャオブログ

日々の連続

函館の三日間(35)函館ドックを外から眺め、新選組終焉の地へ。

函館ドックの敷地内には入れないので、外から眺めることにした。

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敷地内は人影もまばらで、それ程活発に動いているようには見えなかった。

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裏出口の直ぐ傍に組合支部の分会事務所があった。

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道路を隔てた先の広場に案内板が立っていて、ここが新選組最後の場所と出ている。

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昭和30年代、40年代の日本の造船技術は世界一で、建造数は世界全体の半分以上を占めていた。正に日本は造船王国だった。処が後から追いかけて来た韓国、中国が安い人件費を武器に、それまでの日本の独壇場の市場を食い荒らし、受注を横取りされ、いつの間にか日本の世界一の座は明け渡され、いつの間にか斜陽産業の一つに転落してしまった。日本の造船業から言わせれば、にっくき韓国、中国だが、市場の論理からすれば、幾ら逆立ちしても安い賃金国には敵う筈もなかった。世界一の座に安住していた方が悪かったのだ、との指摘もされるだろう。

 

企業倒産を免れる為、数多くの大会社、名門造船会社が弱いもの同士で合併し、余り耳慣れない新会社名になって存続を図ってきたが、この函館ドッグだけは明治以来の同じ名前で存続し、又同じ場所にドックを構えている。明治以来の150年間、同じ場所で同じ名前でのれんを守ってきたのには、大変な努力を要したことだろ。赤茶けた明治の遺産のようなレンガ造りの大倉庫の先に函館ドックの通用門がある。ちゃんとした正門は市電停留所のもっと先の方にあるのだが、歩くのが大変で、この裏口通用門からドックの中を見ることにした。遠くからで良くは分からないが、それ程活発に動きがあるとは見えない。青色吐息かも知れない。しかしこの会社はバルカー船、所謂ばら積み船の建造技術に優れ、今も尚命脈を保っている。特殊技能は企業の命綱だ。

 

裏門のすぐ前に「全船舶」労働組合の事務所があった。労働争議華やかなりし頃、今は無き全逓(郵便労組)、国労動労国鉄労組)等と並び、組合運動をリードしてきた。賃上げの時期になると、連日新聞紙上を賑わしたが、今はその全船舶も全漁船機械支部、函館どっく分会となっている。労働者も減り、組合も縮小した。何でも縮んで行く日本の象徴の一つだ。その支部分会の少し先、道路を渡った広場に案内板が立っていて、ここが「新選組最後の場所」、との説明書きである。五稜郭が政府軍によって落城し、城を打って出た新選組函館市街地を転戦し、新選組三羽ガラスの一人、最後まで生き残った副長の土方歳三も前日市内で既に打ち取られ、残った組員がここまで逃げ延び、政府軍との最後の戦いを挑んだのだ。多勢に無勢、火力の違いに勝敗は明らかだった。ここが魚見坂にある弁天岬台場跡。東京湾のお台場と同じような砲台跡だ。この坂を上り、高台から函館を望み、新選組を偲ぶとしよう。

 

この広場は嘗ての弁天岬台場跡だ。

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函館のこの辺りは坂が多く、ここは魚見坂。坂を上ってみよう。

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坂を上るにつれ、見晴らしが良くなる。町の向こうに駒ケ岳も見える。

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函館港のクレーンも見えてきた。

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