ちゃおチャオブログ

日々の連続

函館の三日間(42)北海道開拓使館とアンネフランクのバラ。

函館四天王像の先にはモダンな洋館が建っている。

 

ここからも高台にある旧公会堂が良く見える。二つの洋館の競演だ。

 

このモダンなモスグリーンの建物は、旧北海道開拓使館だ。

 

建物の横にミニバラ園がある。高台の洋館とよく似あう。

 

 

函館四天王像の説明文には、明治の初め頃、この町の基礎を作った貢献者4人の名前と業績が記載されていた。その横には「市民精神の源流」との副題もあり、明治以降新たに発展したこの町の文化、経済の功労者として表彰されていた。この元町公園自体は昭和の後半、令和に近い頃に整備されたものであり、この4人の銅像はその時に一緒に鋳造されたようである。4人の名前を聞いても知る人はいないが、その中の一人に、今眼下に見える金森倉庫群の事業主も含まれていた。

 

この四天王像の直ぐ横には、又モダンな洋風の建物がある。モスグリーンのどこか北欧風の感じの建物で、案内を見ると北海道開拓使館の建物だ。北海道庁の前進になるもので、道庁が札幌に移転するまでの間、ここ函館が北海道の政治経済の中心地だった。4人の先駆者にしても、この旧北海道庁建物にしても、これから北の大地に新たな国を作るんだという、明治人の意気込みが感じさせられるものだった。

 

この旧北海道庁の横庭に小さなバラ園がある。秋バラの季節ではあるが、大輪のバラとか、変わった色彩のバラとかではなく、ごく普通のどこにでもあるようなありふれた赤いバラだ。ただ、そのミニバラ園と奥の高台に控える黄色い建物、旧公会堂との取り合わせがよい。バラの赤と洋館の黄色。たったこれだけの取り合わせだが、どこか異国情緒を醸し出す。バラ園の案内文を見ると、このバラはアンネフランクと所縁のあるバラの苗木をオランダ政府から贈られたとある。アンネとバラの取り合わせ・・? 

 

自分は寡聞にしてこの繋がりは知らなかったが、オランダは元々チューリップとか花卉類の栽培の盛んな国だ。江戸幕府が長崎で唯一通商していた西洋、阿蘭陀国。幕末函館が開港した時点で、オランダはここに領事部或いは商館などは置かなかった。150年経った今、その遅れを挽回するかのようなアンネのバラのこの地へのオランダ政府からのプレゼントだった。或いはひょっとして、このモスグリーンの洋館はオランダ人の設計によるものか? ドイツ人のシーボルトもオランダ人医師として長崎にやってきた。・・アンネフランクとこの元町公園、どんな繋がりがあるのだろう・・。

 

ああ、このミニバラ園はアンネフランクとの縁のある赤バラだ。

 

バラ園と旧公会堂と開拓使館。良い取り合わせだ。

 

この公園の下段付近には箱館奉行所もあったようだ。箱館は、元々の地名だ。

 

この公園の最下段から最上段の公会堂を眺め、次の英国領事館に向かう。後ろの奥が函館山だ。