ちゃおチャオブログ

日々の連続

壱岐・対馬2島巡り(8)壱岐、黒崎砲台跡。

黒崎砲台に向かう途中の綺麗な島の景色が見れる。

 

ああ、砲台に通じる地下トンネル入り口だ。

 

砲台はこの猿岩近くにある。

 

駐車場から坂を上った突き当りに巨大な穴が開いていた。

 

 

 

沖縄の与那国と壱岐対馬のどっちがより西に位置しているのか、自分には良くは分からないが、いずれにしてもここ壱岐は日本の最西端。従って日没も東京よりは1時間近くも遅くなる。博多からの高速船は5時前に壱岐郷ノ浦港に着岸したが、まだ空は高い。これから迎いのツアーバス国民宿舎に向かうのだが、そこへ行く前に宿舎近くの観光スポットを2か所回ることになった。最初の行先は黒崎砲台跡だ。

 

壱岐はほぼ楕円形の島で、高い山も無く、起伏は少ない。南北の最長距離も50キロはないし、東西の最大幅も20キロもない。フェリー着岸の郷ノ浦から北部の黒崎砲台までは20キロ程度の距離だ。途中信号機のあるような交差点も無く、そもそも走っている車の数もごく少ない。島全体の人口が少ないから、当然車の数も少なく、且つ高齢化が進んでいて、車離れも激しいだろう。

 

砲台までの約20キロ、行き交う車も数台程で、20分も掛からず砲台駐車場に着いた。ここは猿岩のある岬の先端の高台にあり、目の前が對馬海峡で、海峡を通る艦船への睨みを利かせる場所にあった。この岬の根元の入り口は狭まっていて、戦前は重要要塞地区に指定されていて、岬の入り口には海軍の歩哨所もあって、砲台までの約3キロの地区は通行が制限されていた。駐車場からは少しなだらかな坂を登ると、正面に巨大な穴が現れた。砲台跡だ。丸い穴で、穴の直径は50m程、円周は150m程の大きな穴だ。深さも10m以上はある。戦前6年の歳月を掛けてここに巨大な砲台を建設したのだが、それはワシントン軍縮会議で、日本の軍艦建造が制限され、折から建造中の戦艦土佐が中止となり、それに搭載する予定だった巨大を大砲をこの場所に据え付けることだった。

 

ポッコリ口を開けた巨大な穴。螺旋模様に沈んでいる。普段は海上から見られないように、主要部分はこの穴の中に収納していたが、何とその砲身の長さは約19m、口径41cmで、射程は35キロまで届くものだった。対馬海峡は最大でも70キロ。この島と朝鮮半島側に1門設置し、両サイドから巨大砲を撃ち込めば、通過できる艦船は無い筈だった。だが、皮肉にもこの砲門は一度も実用に使われることもなく、終戦を迎えた。嘗て一度だけ試射が行われたが、その1トンもある砲弾の炸裂音は、島中に鳴り響いたとのことである。戦艦大和の主砲はこれよりも大きく46cmあったが、大事にし過ぎて、レイテ湾でも火を噴かなかったが、最初の最後、沖縄戦に向かう途中の喜界島沖で、ありったけの砲弾をブチ噛まし、海の藻屑と消えて行ってしまった。終戦から76年、巨大な穴は強者たちの夢の迹のようだった。

 

 

黒崎砲台跡だ。10m以上の深さがある。

 

巨大な円周は150m程か・・。

 

駐車場脇の案内所には建設当時の写真が掛けられていた。東洋一の砲台。

 

この丘の上に砲台は隠されていた。