ちゃおチャオブログ

日々の連続

壱岐・対馬2島巡り(21)対馬海峡波高し。

客室はカーペットが敷かれ、仕切板で区切られてている。

 

前方には座席室もある。

 

船の揺れが激しく、カーペットに横になることにした。

 

横になっていると、却って気分が悪くなる。室外に出ることにした。

 

 

自分はここへ来るまでその違いは分からなかったし、「街道を往く」にもそのような記載は無かったが、壱岐対馬は一緒になって一口で呼ばれているが、かなり異なっている。最初にその違いに気が付いたのは、二つの島の海域で,壱岐玄界灘に属し、対馬は当然ながら対馬海峡だ。昨日は猿岩とか長崎鼻から外洋を眺め、そこは当然対馬海峡と思っていたが、そうではなくて、玄界灘の一部だった。フェリーは右手に見える壱岐島を離れ、本当の外洋へ出たが、ここからが對馬海峡で、昨日博多から双胴船でやって来た壱岐までの海上とは海の色も違うし、深さも感じる。

 

壱岐島が後方に後退するに伴い、波が高くなり、船底に当たる波の音も激しくなる。船が大きく、それ程ローリングやピッチングが起きる訳ではないが、少なからず上下には揺れて、気分の良いものではない。これだけの大きな船だから、波の力で船が真っ二つに割れるという心配はないが、心落ち着かない。船室は座席室とカーペットが引かれた間仕切り室に分かれていて、そのどちらも少ない乗船客でガラガラだ。間仕切り一部屋を一人で占領する感じで、自分もその内の一つを占領し、大の字になった。昨夜の焼酎飲み過ぎもあり、2時間10分の航海、少しでも身体を休めておこう。

 

横になっていると船の揺れをより激しく感じる。どこかの仕切り部屋から船酔いのゲロを吐きだす嘔吐声も聞こえてくる。ちょっと部屋の外に出ることにした。船が揺れて、真っすぐ歩けない。通路にはパイプの手すりが張り巡らされていて、それを掴まないと前進できない。漸く、後甲板に出て、ベンチに腰を下ろす。日本海波高し。120年前、東郷平八郎連合艦隊司令長官として、ロシア、バルチック艦隊に乾坤一擲の戦いを挑んだ。「皇国の興廃この一戦にあり」と。イギリス仕込みのT字戦法は功を奏し、かのバルチック艦隊をことごとく駆逐し、世界に冠たる提督として後世に名を留め、日露戦争勝利をもたらせた。強い風に煽られ、吹き飛ばされる心配もしつつ、この波高い海峡を見た。

 

外は風も強く、波も荒れている。白波が見える。

 

大型フェリーは波を蹴って前進する。

 

120年前の日本海海戦。天気晴朗なれど波高し。皇国の一戦はこの海域で行われた。

 

ああ、漸く島影が見えてきた。対馬だ。

 

120年前の日本海海戦。天気晴朗なれど波高し。皇国の一戦はこの海域で行われたのだ。