ちゃおチャオブログ

日々の連続

7.10(日・晴れ)金ジョンウン以外の敵対者からも惜しまれる安倍元総理の暗殺。

 

 

余りにも突然の死だった。このような暗殺は本人自身も予想はしていなかっただろうし、それは警護に当たった警察官も同様で、日本全体がぬるま湯の中にいる象徴的な出来事だった。いや、逆に言えば平和な日本の象徴的な出来事だったかも知れない。

言論の府であるべき国会で、多くの虚偽答弁を繰り返し、先日辞意表明した英国ジョンソン首相の潔さと比べたら、雲泥の違いがあったが、それは国情も異なるし、人の見方によっては、大義の為には小事を捨てる必要はあったと考える人もいるかも知れない。しかし、いずれにしても言論の自由憲法で保障されている日本に於いて、暗殺という言論封じを行った山上容疑者は許し難い蛮行で、あってはならないことである。しかもその動機たるや、母親がとある宗教に深入りし、家計が破産したことに対する復讐にあったというから、厳密な意味からするとそれは暗殺でもなく、一般的なルサンチマン、怨みつらみの行きついた上での殺人事件であった。

こんな形で死んでしまうとは、安倍氏本人が一番無念と思い、今ここで死ぬに死ねない怨念もあったと思うが、私邸に駆け付けた弔問客によれば、穏やかで平穏な死に顔だったという。一代の英雄、死して常人に還る。それが壮途半ばで斃れた元総理に対する最大のはなむけで、死は一切を無にし、安らかな黄泉の旅立ちになったに違いない。

日本の憲政史上、前後2回の内閣組閣ではあったが、150年の歴史の中で、7年8か月の総理在任は最長の記録になり、彼の望んでいた、大きなLegacyの一つとなった。その最長の記録を樹立した翌日、あっさりと辞任を表明し、総理の椅子から降りたが、自分から見ていても、この最長不倒の記録は彼に取っては強い思いがあったのだろう。大腸の病患が悪化していて、この記録を立てるまでは辞められない、との強い思いがあったのだ。

歴代の総理像からすれば、退任後は一線を退き、大所高所からのアドバイス役乃至名誉職に収まるのが通例だが、彼の場合、自民党最大派閥の長に返り咲き、尚一層の政争の中に身を挺し、健康も又回復の兆しを見せていて、或いは第三次安倍内閣を組閣するかの勢いも見せ、仮に三度の総理復帰はないとしても、政界に強い影響力を行使し、日本の行く末を左右するキーマンの一人であり続けることには相違ない。

そんな元総理に対し、海外の政府首脳、要人からの哀悼の表明は後を絶たない。海外とのそれ程長い折衝、交流があり、彼の人柄の良さを印象付け、日本の国際的な地位向上に大きく貢献し、その弔意は、中国習主席、ロシアプーチン、マンミャ―首相、国連事務総長エリザベス女王からも寄せられていて、インドなどでは翌日を哀悼の日として、国の休日にした。敢えて言えば、金ジョンウン以外のあらゆる国の首脳から安倍元総理は惜しまれて死んで行った。元総理の幅広い人徳の賜物であり、これ程の名利もないだろう。

彼が求めたLegacy,祖父を越え、叔父を越えるLegacy,それは取りも直さず、敗戦日本の総決算、憲法改正にあった筈だが、その壁は厚く高く、容易に越えることは出来なかった。次なるLegacyは総理在任の最長記録であったが、これは後世100年の間に超えらる可能性もあり、必ずしも最長不倒とはならないものだ。それと一昨日の暗殺事件。これは彼に取っては全く予期せぬ出来事だったが、現職ではないとはいえ、元総理。その死は伊藤博文原敬高橋是清濱口雄幸犬養毅斎藤実と並び、長く憲政史上にその名を留めるだろう。彼の死を悼み、ご冥福を祈る。これからの日本の行く末を冥界から見守ってもらいたい。