ちゃおチャオブログ

日々の連続

10.2(日・晴れ)安倍暗殺なかりせば。

 

お彼岸を過ぎて、秋の好天が続く。湿気も無く、気持ちよい散歩が楽しめる。ここ2‐3日、お茶の間を楽しくしてくれた二人の人気者が相次いで鬼籍にはいる。三遊亭円楽アントニオ猪木。72歳と79歳。意志の強い前向き男も、プロの鉄人も癌には勝てなかった。ゆっくり休んで下さい。

 

さて、歴史にIFは無いのだが、もしも7月に安倍暗殺が無かったとすれば、今はどうなっているか? それを考えるのも楽しい。

1.先ず国葬はなかった。遊説中の改造銃による暗殺という衝撃的な事件にUpsetした岸田が、麻生を頭とする右寄り周辺に急かされ、国葬を決めた。もしも安倍が40年前の大平総理のように、遊説中に急死したのであれば、当然国葬にはならなかった。

 

2.国葬は本人も予想外で、結果、祖父を越えることができた。本人は岸の孫として、周囲からそうした目で見られ、心の中の対抗軸として祖父があった。祖父は国を二分する日米安保条約強行採決し、総理を辞任した。本人は祖父の業績を越えるべく努力したが、結果は結びつかなかった。小泉時代、蓮池さん他7名の拉致被害者を北から帰国させ、彼自身も残りの被害者全員の帰国を画策したが、全く出来なかった。

佐藤時代、沖縄が日本に返還され、結果、佐藤は日本人初のノーベル平和賞を受賞したが、安倍自身も同様に北方四島の返還を政権の眼目とした。しかし、プーチンの掌で躍らせれただけで、島は4島外の貝殻島水晶島の米粒のような無人島すらも戻って来なかった。

普通の人は、この時点で心が挫折するが、彼にはもう一つの記録が目前に控えていた。それは通算での総理在任期間であり、歴代最長の桂内閣をもう少し頑張れば越らえることだった。結局、8年8か月、政治的な業績は後世に残るものは無いとしても、歴代最長だけは後世に残る。これに掛け、桂を1日越えた翌日総理を辞任した。岸田が国葬に決めた理由の一つにこの最長を上げていたが、安倍としたら、全く望外のことだった。

 

3.統一教会問題は表面化せず、教会は更なる影響力を政治に及ぼし、信者からの搾取がより激しくなっていた。テレビも新聞も統一教会は全く取り上げられず、国民の知る処はなかった。世間に見えない水面下での結びつきで、統一教会との政治側キーマンは安倍であり、安倍自身がより強い繋がりを教会との間に構築し、日本の政治は教会の下請け機関になっていた。その中心の眼目は日韓海底トンネルであり、自身は表に出ずして、細田、岸田、萩生田等を走狗し、莫大な国費を投入することによって、韓半島、教会に莫大な利益をもたらすことにあった。日本の血税、日本人が貧しくなることなど、どうでも良い事だった。

もしも暗殺なかりせば、彼は第3次内閣を組閣し、このトンネル完成により後世に残るレガシーを考えていたかも知れない。結果、日本にペンペン草が生えようと、それは彼に取ってはどうでもよいことだった。

 

明日から始まる臨時国会。安倍暗殺なかりせば、岸田は相変わらずの顔色窺いで、教会と結託した安倍派の使い走り状態だったろうが、現実は、死んでもういない。恐れることはないのだが、小心の岸田では、思い切ったこともできないか・・。