ちゃおチャオブログ

日々の連続

7.26(火・雨)秋葉原加藤死刑囚の遅すぎた処刑。人の命の値段。

 

14年前の平成20年、加藤死刑囚はホコ天で賑わう秋葉原に歩行者を殺す目的でトラックで突っ込み、3人を跳ね飛ばして殺し、まだ足りないと思ったのか、トラックから降りて、逃げ惑う歩行者をナイフで殺傷し、更に4人を殺した。本人は青森出身の昔だったら集団就職組だが、今は日本経済も豊かになり、岐阜県内の短大を出て、派遣労働者として幾つかの会社で働いたが、最後は静岡県内の自動車会社で、そこを解雇され、トラックを飛ばして秋葉原までやってきた。

社会に不満を持つ若者は沢山いるし、自分の不遇な半生を恨む青年もいるだろう。その不満、憤懣の爆発先を、この様な大それた殺人事件まで持って行く人はごく限られている。異常な精神としか言いようがない。普通の人間は、最後の一線で踏みとどまるものだが、彼は、無茶苦茶に押し進んだ。大人になり切れない幼児性向だ。

裁判では弁護団が精神異常を主張し、減刑を求めた。しかし裁判では、7人も殺したという結果の重大性、殺害に至るまでの行動経緯からし減刑は認めず、1審2審死刑、平成27年の最高裁で死刑が確定した。確定判決から7年半年、事件当時25歳だった青年も今は39歳の立派な中年。どこでどう進路を間違えたのか自分には分からないが、7人も殺害した責任は重大で、本来、もっと早く処刑し、遺族に報いると同時に、法の執行をもっと早急にすべきだった。

 

たまたま今日は6年前に発生した津久井ヤマユリ園の大量殺人があった日で、犯行当時26才だった殺人犯植松聖はそこの障害施設で働いているにも拘わらず、障害者に対する強い反感、嫌悪感を持っていて、薬物使用等による精神異常者であった。サバイバルナイフを用意し、深夜侵入して職員及び障害者合計19人も殺害したが、精神鑑定の為に公判までに4年も掛かり、一昨年1審判決は死刑となった。

弁護団は控訴手続きを取ったが、本人が控訴を取り下げ、1審判決が確定した。この事件も中国のように判決確定後即座に処刑すれば、問題は後に引かなかったのだが、確定から2年、何を思ったのか植松本人が今年になって何故か再審請求を行った。19人も殺しておきながら、自分が死刑になるのが怖くなったようだ。全く身勝手な男だ。

 

日本も中国のように死刑が確定したら、即座に実行すべきだ。いつまでも生かして置く理由はない。欧米のように、死刑廃止国が増えてきて、日本でも死刑反対グループは、声高に廃止を訴えているが、日本と欧米とは宗教も違うし、個人の責任の取り方も異なる。死刑に関しては欧米の真似をすべきでない。キリストのように右ほおを打たれたら左ほおを打ってくれ、と差し出す宗教心は日本人にはないし、イスラムのように、目には目を、という報復意識もそれ程強くはない。仏教国の日本では、因果応報、悪いことをしたら、後々回りまわってその悪果を自身が受ける。人を殺せば、自分も殺される、との長い間の宗教観、人生の生き方があり、キリスト教的博愛の精神とは少し異なっている。慈悲はあっても悪人を野放しにすることはなく、因果応報で罰せられる。

殺人者が処刑されなければ、被害者遺族の悔しい感情は救われない。今拘置所には100人以上の死刑囚が拘留されている。処刑を遅らせることは、遺族感情を逆なですることだ。法治国家を標榜する以上、確定死刑囚は速やかな処刑をすべきだ。

 

チグハグな法治国家は、コロナワクチン接種後に死亡した90過ぎの女性高齢者に、接種と死亡との因果関係が否定できない、として昨日、死亡一時金4420万円を支払う決定をした。コロナでなくても、黙っていてももう直ぐ亡くなる高齢女性。以前どこかの大臣が人の命は地球よりも重いとか、人の価値に大小はない、などと、宇宙人のようなことを発言していたが、人の命は価値も違うし、命の値段も異なる。安倍元総理が国葬になるのも、価値が高いからだ。

この予防接種法がどんな法律かは知らないが、全員一律4420万円の補償が法律の基準としたら、厚労大臣はその内容を吟味すべきだ。税は公平でなければならないし、棚ぼたであってはならない。