ちゃおチャオブログ

日々の連続

壱岐・対馬2島巡り(32)豊玉姫の墳墓。

  • 和多都美神社の裏は疎らな林になっている。

  • 200m程進むと鳥居が見えてきた。

その奥に磐座のようなものが見える。

 

戦後の教育の中で、日本の古代史、国生み、神話、伝承を学ぶ機会が希薄になって、古代の神話を詳しく知る機会も少なくなってきた。日本人なら天照大御神神武天皇は誰でも知っているが、その神武の祖母が豊玉姫とは余り知られていない。ここ対馬和多都美神社にはその豊玉姫の墳墓があるのだ。陵墓ではない。国の指定も受けていないし、宮内庁の管理にもなっていない。単に墳墓だ。

神社の裏の原生林のような小径を200m程歩いて行くと、そこに墳墓があった。小さな鳥居と標識がなければ気付かず通り過ぎてしまうような、自然石を重ねたような小さな石塊で、その前に小さな祭壇とお神酒を入れる瓶子があって、漸くそこが清めの場所だったと分かる程度だった。神武天皇のお祖母ちゃんでも、国の史跡でないと、扱いも、実に何もない石塊だった。そう思うと、何か申し訳ないがオーラも発していないような感じでもあった。

以前宮崎を旅行した時、最南端の都井岬に近い辺りに鵜戸神宮があり、車を走らせた。鵜戸神宮は海の際にあり、自然に作られた大きな半洞窟の奥に小さな社があった。半洞窟の中の社。洞窟内は外の外気よりは2‐3度低いのだろう、何か霊気を感じた。鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)。豊玉姫と山幸彦との間に生まれた子だ。山幸彦は鵜の羽根で産屋を作ったが、出来上がる前に生まれてしまった。その子供が神武天皇であり、この宮崎、日向の地から東征が始まった。海の向こうからやって来た豊玉姫は、対馬の地で山幸彦と結ばれ、九州南端のここ鵜戸に至り、神武天皇の親となる鵜葺草葺不合命を産んだ。その原点となる磐座がここ和多都美神社の裏の林の中にひっそりと収まっていた。

 

ああ、清めの瓶子だ。これが豊玉姫のお墓、墳墓なのか・・。

 

  • 全体の土地は痩せていて、原生林も大木は生えていない。

     

    林を抜けた先に綺麗なトイレと大きな駐車場があり、運転手に海神神社のことを聞いてみた。