ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音霊場巡り(14)奥の院から見る清水の舞台。

音羽山のカーブに沿って奥の院までやってきた。正面に清水の舞台が見えてきた。

 

ああ、ここからの眺めが最適だ。

 

よく写真やテレビで見る光景。毎年この舞台上で、今年の文字が揮毫される。

 

 

清水寺音羽山の斜面を上手に利用して、本堂から祖師堂、阿弥陀堂奥の院と一連の建物は半弧を描くように半円形に並んでいる。本堂から奥の院までは凡そ300m程あるが、この間に登り降りは無くほぼ平坦道になっていて、足の悪い人、車椅子の人にも移動は楽だ。巡拝順路もこの流れに沿って一方通行になっていて、参拝者同士がぶつかったり、通行を妨げたりするような混乱はない。京都の中でも金閣寺、八坂神社と並んで観光客の多い清水寺、年間1000万人以上の参拝者がやって来るだろう。混雑、混乱させない知恵が長い間から備わっている。

半弧状に並んだ奥の院からは、本堂、清水の舞台が丁度正面に見える。京都観光案内書とか年末年始のテレビ中継などで良く目にする光景だ。懸崖造りの足下駄もここからだと良く見える。この寺は度々火災に遭い、今見える本堂、舞台は江戸初期、3代将軍家光が寄進したものだ。舞台の広さは約100畳、200㎡の広さがある。足下駄は釘は一本も使われず18本の欅材で作られ、高さは13m。4階建てビル相当の高さで、清水の舞台から飛び降りた人は江戸時代の記録では200人以上の人がいたが、下に樹木が茂っていて、多くの人は助かったようだ。しかしそれにしても、10数mの高さから飛び降りるのは矢張り一大決心で、流石に清水の舞台から飛び降りる覚悟で、身を投げたに違いない。

毎年年末にはこの舞台上で今年の1文字が清水寺貫主により揮毫される。五輪にちなんだ「金」とか、東北大震災の時の「災」とか、コロナの時の「蜜」とかあり、その年の時世を表す文字が選ばれるが、さて、今年は何になるだろう・・。もう何年か前、100数歳で天寿を全うした大西了慶貫主が、毎年この舞台の上で、年齢を感じさせない強い筆致で一文字揮毫していたが、今となってはもう懐かしい光景だ。折角ここまでやってきた。周りの人に1枚写真をお願いし、記念に収めた。

 

自分も記念に1枚写真を撮ってもらう。

 

奥の院を下り、音羽の滝へ行く途中の斜面で、正面の舞台を見る。

 

髙い場所からの飛び降り自殺は、ここから由来しているのか・・。