ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音霊場巡り(33)京都タワーへ。

下御霊前神社を出て、バス停まで歩いている途中、道路際に横井小南暗殺の石碑が立っていた。熊本出身の幕末の志士。ここで暗殺されたのだ・・。

 

バス停のある丸太町通りに出た。正面の森は京都御所の一部だ。

 

御所の向こうに貴船神護寺も山並みも見える。

 

ホテルの部屋で一休みし、このビルの屋上に立つ京都タワーに上る。

 

 

時間はまだ午後の3時にもなっていない。陽はまだ天空に高い。巡礼コースガイドには行願寺の後、京都御苑、梨木神社、相国寺を回って、今出川駅まで歩く案内が出ている。総距離にしても3キロ強。以前の自分だったら軽く歩ける距離だが、足がもう余り言うことを聞かない。今日で3日目。この3日間、普段の何倍もの距離を歩き、足が悲鳴を上げている。行願寺の後の観光は巡礼とは関係ない。今次京都巡礼は4ケ寺を回れたので、当初の目的は達した。ホテルに戻って休むことにしよう。

 

丸太町通りのバス停から乗ったバスは、御所を真ん中にして市内の右側、右京区をぐるっと回り、今朝やって来た四条大宮の前の広場を通過し、京都を横に横断して東山区祇園の前の交差点に出て、三十三間堂国立博物館の前の交差点を右折して、京都駅まで巡回してくれた。バスの中からの思わぬ市内観光ができた。どこまで乗っても220円均一。利用者も多く、右京区の住宅街でも人の乗り降りがあり、祇園神社から先、京都駅までの間は満員すし詰めの状態だった。実に市内のバスは住民や観光客の良き足になっている。

 

ホテルの部屋で一休みし、疲労も少しは取れた。このホテル、京都タワーホテルはその名前の通り、ビルの屋上にタワーがあり、これは自分がまだ大学生んころ、今から半世紀以上にも前に建築され、古都京都にこうしたタワーは相応しくない、と美観論争が沸き上がり、賛否こもごも激しい論争に発展したが、誰の裁定だったか、建築されることになって、京都タワーと名付けられた。自分は一度その頃タワーに上ったことがあったが、その後何回か京都に来たが、2度と上ることは無かった。それから半世紀、今回の京都訪問が最後になるとは思えないが、最後になるかも知れない。当時学生時代で3か月この町に住んだ。その間、2回はタワーに上った。周囲を山に囲まれた京都の街並みは半世紀前とそれ程変わらないだろう。

 

屋上階に行くと、タワー入り口周辺はリニューアルされていて、以前とは違った雰囲気だった。ガチャガチャ土産ショップなどあるが、このコロナ禍で客は少ない。そのまま専用エレベーターに乗り換え、展望階に直行する。眼下に真四角な京都の街並みが展開していた。

 

直ぐ下に本願寺の広い境内が見える。

 

遠く鞍馬の山まで見通せる。

 

東山三十六峰。この麓を昨日はずっと歩いた。

 

反対側は京都駅だ。すぐ真下に見える。