ちゃおチャオブログ

日々の連続

宮古の4日間(14)宮古島、ドイツ文化村にて。

ドイツ文化村のメインの建物、ドイツ風のお城の中にネギさん、稲さんの二人は入って行った。

 

自分はここまで来るのも大変で、入館は止めにした。

 

ドイツ村は、この地図の宮古島の左下。東平安名岬は上の細長い半島。日時はスリップするが、先週木曜日(4月6日)第8師団長を乗せた大型ヘリが墜落したのは、左の丸い島、伊良部島の上の辺り。

 

 

宮古島には観光資源と言ったものは少ない。主に上げられるのは綺麗な砂浜即ちエメラルドビーチと、コロナ禍で一時中断されているトライアスロン位で、世界最強のスポーツマン、スポーツウーマンを選ぶ大会だ。いずれにしても島の自然を活かした観光資源である。そうした中で、唯一と言っても良いテーマパークがここ「うえのドイツ文化村」だ。150年程前、宮古の近海で難船したドイツ商船を島の人々が救助し、誰一人の犠牲者も出さず母国ドイツへ送り返した故事にちなみ、旧上野村のこの場所にドイツにちなんだテーマパークが開園された。

開園の主体者、主体企業がどこだったかは知らないが、開園の時期が悪かった。開園直後の2000年、沖縄ミットの帰路ここに立ち寄った当時のドイツ首相シュレーダーの訪問がこの開園以来の花で、今でもドイツ館の正面にはその時の記念のプレートが日独両国旗に飾られて、掲げられていた。2000年と言えば、バブルが弾けて2‐3年、大手都銀や証券会社の倒産が相次ぎ、これからの長くて暗い日本経済低迷の30年間が始まる時期に重なっていた。バブルを見込んで作られたテーマパークは、6階建ての大きなリゾート風ホテルや、アクアダイビング、水中ボートなど、お金余りを象徴する施設や建物が満載だが、これ等が盛大に活用されたことは無かっただろう。事コロナ禍で、大きなホテルは開店休業状態だった。

ネギさん、稲さんの二人がノイシュバンシュタイン城を模したような記念館の中に入って行き、自分は園内をぶらつき、元の入り口付近まで戻った。20数年前のシュレーダー。当時ロシアは良き隣人で、G7の仲間に入れられ、初のG8の一国としてプーチンが沖縄までやってきた。この時の主催国議長が森で、例のごとくプーチンは数時間も遅れてやって来て、他のG7首脳を平気の平左で待たせたが、一言の苦言も呈せず厚遇したのが阿呆の森で、以来、プーチンの膝下に屈している。今のベラルーシ大統領と同じ立場だ。シュレーダーがこの時プーチンに取り入ったのかどうかは知らないが、彼も又プーチン子飼い犬のような存在だ。その後彼は首相を辞めた後、ロシアガスプロムの副会長や、ノルドストーム会長などをし、プーチンウクライナを侵略して以降も、その座に留まっている。プーチンのポチ、ロシアの代弁者で、再再婚した韓国女性と一緒になって、慰安婦問題の先頭に立っている。

園内は客の姿よりも清掃、整備の作業員の数の方が多い位で、こうした保全によって廃墟にならずに済んでいるが、どこまで維持できるか・・。コロナが収まって、この島にも又大勢の観光客が押し駆けるようになれば、園も又息を吹き返せるか・・。入り口近くのベンチで大分待たされてから二人が漸く戻って来た。時間が有り余ったせいか、余分な事まで考えてしまった。

 

  • テーマパークには綺麗なビーチもあるが、人はいない。奥にはホテルも建っている。

     

  • コロナさえ無ければ、客で賑わっているに違いないが・・。

  •  ドイツ村の入り口も錆びれて、半分は廃墟近くになっている。

    コロナも間もなく終わる。それまで頑張って下さい。