ちゃおチャオブログ

日々の連続

5.3(水・晴れ)憲法記念日に思う。

 

 

昨日に続き今日も快晴。湿気の少ない良い季節だ。秋晴れという言葉があるが、最近は春も同様の好天が続く。これも又気候変動の一つの表れか・・。

5連休、前半の水木金が好天で、土日が崩れるとの予報で、各地高速は昨夜から渋滞が始まっている。各放送局は高速道の渋滞中継にヘリまで出している。まるで、お祭り騒ぎだ。前半の3日間で大いに楽しみ、最後の土日は自宅でゆっくりのパターンが国民に行き渡ったようだ。テレビ、マスコミの影響力大はこんな所にも表れている。マスコミは第4の権力と言われているが、野党はテレビの有効活用をもっと頭脳的に活用すべきだ。自民だけが総務省を通じ、NHKにちょっかいを出しているが、余り効果的ではなく、むしろ反発を受けている。テレビを通じ、右を向け、左に進め、と大号令を掛ければ、多くの国民はその通りに行動する。右を見て、左を見て、みんなが行く方向に付いて行く。没個性の殆ど従順な日本人像がそこに見えている・・。

 

5連休初日の今日は憲法記念日マッカーサーと時の総理、幣原喜重郎の取り決めにより戦後の憲法が制定され、昭和22年、76年前の今日、施行された。それ以前の明治、欽定憲法は明治23年、1990年施行だから、1947年まで57年間続いたことになり、今の戦後の昭和憲法が戦前の明治憲法よりも既に19年も長く続いている。それは又、この先、どこまで続くかは自分には不可知であるのだが・・。

成文としての最初の憲法は明治欽定憲法であり、それ以前の江戸時代の武家諸法度や、鎌倉時代御成敗式目などは今でいう法律のようなもので、明治天皇五箇条の御誓文やずっと以前の聖徳太子の十七条の憲法も、名前は憲法となってはいるが、今でいう憲法前文の理念のようなもので、臣民、官吏の道徳的な軌範を示すもので、明治や昭和の憲法とは異なるものであった。従って、日本人が成文憲法として上から与えられたものは明治欽定と、昭和のマッカーサーの二つしかなく、その歴史も僅かに120年余りのものである。

 

今に始まったことではないが、憲法論議がかまびすしい。マッカーサー憲法が制定されて、10年も経たない内の昭和30年代から既に改憲論者と護憲派の賑やかな論戦が行われていた。最大の争点は第9条の戦争放棄にあり、一方は現在の取り巻く環境にマッチしないこと、他方は、世界平和の理念として死守すべきこと、と真っ二つに割れていて、国民も大よそ二分されてきた。しかし最近のロシアによるウクライナ武力侵略、北の度重なる核ミサイル実験等により、護憲派よりは改憲派の方がやや優位な立場になっている。護憲派には先に死去した坂本龍一氏やノーベル賞作家の大江健三郎など名立たる文化人、芸能人、学者などが参集して世論と国民をリードする一方で、護憲派は右派、右翼、国粋的思想とのレッテルを貼られがちで、マスコミによる印象操作の分が悪い。

 

ウクライナの惨禍をみるまでもなく、誰しも戦争には反対で、戦争のない世界を願っている。ただそれは願うだけでは叶えられないことは、現実のウクライナを見ていれば、誰でも理解できることだが、平和主義者に取ってはその現実を理解しようとしないし、見ようともしない。憲法で交戦権を放棄し、従って軍備も持たないことにはなっているが、国を守る固有の権利は憲法を越えるものとしての解釈憲法で、自衛隊保有し、今や敵基地攻撃論まで議論の対象となっている。誰がどこから見ても、当初の憲法理念とは大きくかけ離れた自衛隊の存在であり、これは言うならば、小学生の学生服を大の大人が着ているようなものであり、どう見てもサイズの合わない現状だ。

 

理想主義者は現実を直視しなければならない。プーチンのような狂人がひとたび現れたら、平和外交、戦争放棄、等と唱えても、それは空の念仏に過ぎない。プーチンも金も習も皆国境を接する隣国だ。日本はこうした話の通じない狂暴国家に囲まれていることを認識すべきだ。憲法は不磨の大典という人もいる。しかしだからと言って時代にマッチしない子供の服を大の大人がいつまでも着続けることはできない。あちこちに綻びが出てきている。従って、大人のサイズにあった洋服に着替えなければならないのだ。

 

戦争放棄を謳った平和憲法は75年続いた。その間、日本は一度たりとも戦争をしたり、巻き込まれたりしたことは無かった。これだけでも世界に誇れることであり、世界遺産に登録申請したらよい。世界平和の鏡となるものだ。日本がこの先憲法を改正するとしても、平和国家たる理念を放棄するものではない。GNP世界3位の国として、世界平和へのトリビューナーとしてこれからも貢献して行くのだ。憲法9条の変更と、平和国家であり続けることとは、相容れる親和性の高いものなのだ。今日の憲法記念日に強く思った。