橋脚の高さは余り無いが、平坦な直線道が真っすぐ池間島に向かっている。
島に着いた直ぐの場所に池間漁港があった。
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係留している漁船は10数隻あったが、漁師の姿は見えなかった。湾の前方に池間大橋が見える。
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宮古島の周辺には幾つかの比較的大きな有人島があって、それ等は皆長大橋で結ばれている。これから向かう池間島にしても、僅か数百人程度の島民の為に、これ等の巨大インフラを建設するのは、大きな無駄使いとは言わないまでも、費用倒れは明らかだ。が、他方視点を変えて、これ等の建設に投下される潤沢な資金によって、島内の経済が循環し、ゆくゆくは島民の生活向上に役立つ筈だ、との見方もある。ただこれ等の建設によって潤う経済は一過性のもので、建設が終わればもうそれ以上の需要は喚起されない。建設が終わって数年も経てば、又元の低迷する島の経済に後戻りするだろう。
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長大橋は人口が少ないとはいえ、島の住民に取っては利便性の高いものであり、ひと頃問題になった地方都市での箱物、不必要な芸術劇場とか美術博物館など、後々の維持費が大変になる不用の長物よりかは、随分、ずっと有意義なものであろう。しかし、インフラ整備も島の住民に取っては大事な事に違いないが、それ以上に島のソフトウエア、宮古で言えば海と自然、観光資源と長期滞在、スポーツ留学・合宿等の離島振興策を沖縄開発庁が率先して手掛けて行ってもらいたいものである。
そうした長大橋で結ばれた宮古周辺の島へ行って見ようと、最初に選ばれたのがここ池間島で、ここを最初に選んだ理由の一つには、この島には池間酒造があるかも知れない、との思惑もあった。泡盛の銘柄は覚えていないが、池間酒造は時々名前を聞いていて、那覇の瑞泉とか久米泉程は有名ではないが、どこかで聞いた覚えはあった。その酒蔵を訪ねて利き酒を頂こうとの思惑もあった。去年石垣で高嶺酒造を訪ね、直売店で何杯か利き酒を頂いた思い出も残っていた。
池間大橋を渡った先に漁港があり、10数隻漁船が係留されていたが、今は休漁なのか閑散としている。船内で働く漁師の姿も見えない。港は綺麗に整備されているが、漁協の事務所もなければ、ちょっとした売店などもない。過疎の島の港はこんなものか・・。港の前方に今しがた渡って来た橋が見える。通行する車も見えない。この島には池間酒造がないことが分かり、島の北端の灯台に向かった。
話は前後するが、今から1か月ほど前の4月中旬、宮古駐屯地を離陸した陸自の大型ヘリが熊本8師師団長を乗せて、この灯台の先の洋上を左旋回し、伊良部島に向かっている途中に突然の音信不通になり、ここ池間と伊良部とのほぼ中間地点で海上に落下し、師団長他乗員10名全員が死亡した大惨事があったが、1月中旬に旅行した際には、3か月後に起こるこの事故は全く想像できないことだった。
白い無人灯台を眺め、その基部にこの灯台を管理する第11管区海上保安庁のプレートが嵌められていて、大さんの知人の息子さんが海上保安官で、どこか東北か北海道方面の海上保安部からこの沖縄に転勤になった、などの話を聞かされた。先の自衛官同様、日本の最南端で国防を担う現代の防人、灯台守の陰の働き。日本最北の地から最南の地までの転勤族の大変さを想像したのだった。盛り土の上にある灯台との間の雑草に覆われた斜面を下り降り、この島を後にすることにした。