ちゃおチャオブログ

日々の連続

6.19(月・晴れ)女の性(サガ)、人のサガ。



 

時代が変わったものだ。昨日は広末涼子の旦那が涙ながらの会見を行っていた。不倫事件の渦中の夫であり、3児の親。今は個人の自由が尊重され、不倫であれ、何であれ、自由気儘に行動できるのだが、昔だったら、島流し、火あぶりの刑。ご法度のことだった。

広末は確か今の旦那とは再婚で、再婚後に3児を儲けたのだから、その奔放な性は落ち着くかと思ったが、心の隅に住み着いた女のサガは消え去ることは無く、ちょっとしたきっかけで、又首をもたげたのだ。彼女は家族、子供よりも相手の男、フランス料理の有名シェフを選んだ。男のテクニックが旦那よりも優れていたということだろう。男の愛技に溺れてしまったのだ。

 

何年か前、仙台出身の女議員で、確かクラブかどこかの名前のような、志桜里とか言っていたと思うが、今は離婚して名前を変えているが、相手のイケメン弁護士と結婚し、双方の家庭を破壊したが、家庭や家族の幸福よりも自己の満足を優先させ、彼女も確か辯護士上がりの国会議員だったが、こうしたエリートでも道を誤ることがあると、仰天したが、今はその女、議員は辞めても口先は一流、どこかのテレビのコメンテーターとして活躍しているが、こうした女、男を持てはやすマスコミ自体もどうかしている。

こうした不倫行為で家庭を破壊し、社会を悪化させた張本人は一定の期間、社会から遠ざけるべきだが、日本のマスコミはそうしたことはしていない。新潟出身のオシドリ代議士だった宮崎なんとかは、旦那が不倫したが妻の包容力が高く、旦那も反省し元の鞘に収まったが、二人とも代議士を辞めた。こうした反省があり、自己処罰があれば、社会もマスコミもある程度許されようが、志桜里などは政府関連の諮問委員にまで収まっているというから、日本の政府も滅茶苦茶だ。こんな破廉恥な女は一定期間冷やすべきだが、政府が率先してそうはしていない。社会の悪化に手を貸している、馬鹿どもだ。

 

人間が動物の延長上にある以上、男女を問わず、性的な欲望からは離れられない。人間に死があると同様に人の宿命だ。過去宗教家や倫理家は、そうした欲望からフリーになるべく努力し、鍛錬し、一定の成果を得られた偉人、聖人もいただろうが、親鸞など老年になってまでもあちこちの愛人に子供を産ませ、各地には18人以上の子供がいると聞いている。そんな宗教家でも人々からは敬愛され、多くの信者を惹きつけ、今や日本一の宗教集団になっているのだから、そうした性欲からの離脱はそもそも人には馴染まないことなのかも知れない。

ただ人は自由奔放に生きるのは良いとしても、そこには一定の節度がなければならない。家庭を破壊し、家族を悲しませ、路頭に迷わせるようなことをしてはならない。広末にしても志桜里にしてもそれ位の常識を持ってするなら火遊びで済ますべきだった。